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中高年からのピアノ

去年の5月からピアノを習い始めた。今月でちょうど1年だ。子どもの時から歌が好きだった私は中学生になって仲良し同級生3人と市ではそこそこ有名だった合唱部に入部した。その頃歌っていたのはヨハンシュトラウスのワルツだった。3年生の先輩がピアノを弾いていた。毎日誰よりも先に音楽教室でピアノを弾いていたその先輩の指先を私は食い入るように眺めていた。右手と左手が違う動きをしていることにとても驚いたし天才だと思った。初めてピアノを意識した。合唱部に一緒に入部した同級生の部屋にピアノがあった。ベルベットの朱赤の布を纏ったそれはひときわ威厳を放っていて何故か近寄りがたい感じがした。それもその筈で当時ピアノがある家はお金持ちが多かった。我が家には縁のない楽器だったのだ。それでもいつかは自分の手元になんて微かに思っていた。

何年か経ち結婚して2人の子供に恵まれた。私は常日頃2人には自分ができなかった事、やりたかった事を惜しみなく何でも経験させてあげようと思っていた。その中でまずさせたのはピアノだ。近所のママ友さんから個人レッスンしてくれるピアノの先生を紹介してもらった。当然私も親子で教わるつもりだったのだが、子供オンリーだった様で大人の私は断られた。結局月謝がリーズナブルな事もあり子供達だけ教わることに・・私はというといつも後ろのソファに座って指を咥えて我が子のレッスンを眺めていた。ここでまた私はピアノから遠ざかったけれど上達が早かった長男の為に念願のピアノを購入した。学校にある様な黒いピアノではなく私の好きなウォールナットのピアノだ。

長男長女が中学、高校に上がるにつれ次第にピアノの出番もなくなりとうとう調律もしなくなっていた。

一昨年ひょんなきっかけで姉が入っているアマチュアのブルースバンド(総勢12名)の還暦ライブを前にバックコーラスの1人が国際結婚で海外に行くことになり穴埋めに入らないかと勧められた。歌うことは好きだったけど、若い頃からロックやポップスばかり聴いていた私はブルースには全くと言って良いほど馴染みがなく大変戸惑ったが、当時生き甲斐も趣味もなかった私に姉が「歌ってるとストレス発散になるし、メンバー皆優しいしきっと前向きになれるで」と言ってくれたので、これも何かの縁だと思い仲間に入れて頂く事にした。以降1年間毎月スタジオを借りての4時間練習、そして去年の4月に本番ライブが大盛況であっという間に始まり、あっという間に終わった。

還暦ライブで完全燃焼したせいか虚無感にさいなまれた日々の中でボーッとYouTubeを見ていたらX JAPANが目に入った。懐かしさで何度も何度も再生し見続けた(聴き続けた)。そうだ私はX JAPANが好きだったんだ。YOSHIKIのピアノの音色、それに合わせて歌うToshlの歌声がたまらなく好きだった。忘れていた感情が一気に沸いてきた。

そうだ。ピアノを弾こう。

そこで同じバンドメンバーのピアノ担当のKちゃんにピアノを教えてほしいと恐る恐る頼んだら快く承諾してくれた。Kちゃんは私より3歳ほど年下でYAMAHA出身の超エリートだ。そんな彼女がへっぽこな私に安価で個人レッスンしてくれるなんて、なんてラッキーなんだ。

行動力だけは早い私はすぐさま18年間眠っていたウォールナットのピアノの調律を依頼した。幸い弦も切れることなく再び息吹いたそのピアノは今度は晴れて私だけのものになった。

ピアノ講師のKちゃんに「どうなりたいかモチベーションは何か」と聞かれすかさず「数年後の自分の還暦ライブでForeverLoveを弾き語りたい」と答えた。姉にも同じ事を言ったら鼻で笑われた。

無理もない。現在「こどものバイエル下巻」75で四苦八苦しているのだから


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