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予期せぬところで知識を得る


人は過去に戻れたらどうしたい?って
言われたら何で答えるだろう。
まぁ、言いそびれた想いを伝える
インターハイへの切符を手にする試合で
勝てるように動く
それぞれ後悔をやり直そうとする。
僕がいろんな人に聞いた中で一番多かったのは
いや、自分も含めてなのだが

「もっと勉強しておけばよかった。」

人生というのは前にしか進むことはできない。
生まれて死ぬまで否応なしに流れていく。
往年の大物歌手が「川の流れのように」と歌ったのは
言い得て妙なのである。

しかし、「学び」という点においては
圧倒的なパワーがあればいくら時がすぎ
流れていこうとも手に入れることができる。
野球選手が引退してから大学院に入ったり
芸能人が通っていたり
もしくは外部聴講生としてお年を召したかたが
通われることもある。
それはなんら不思議ではない。
興味があるという圧倒的なパワーの先に生まれた
行動なのだ。

たしかに日本は順当に学び舎へと入っていくことが
当たり前になっているが、それもおかしい話なのだ。
興味があって学びたいのであれば
めちゃくちゃ若かろうがいくつ歳をとろうと
学べばいいのだ。

ましてや、外でご飯を食べていて学ぶことすらある。
先日、このご時世だが外にご飯を食べに行った
久々に連絡が来た友人からの誘いだったし
話したいこともお互いにあったから行ってきた。
いろんな話をしているうちに

「あなたのおかげで読書をするようになったし
絵画も好きになった」と言われた。

僕はエゴン•シーレという画家を筆頭に
ゴッホ、ダリ、ピカソ、マティス、俵屋宗達
クリムト、ルソー、そしてフンデルトヴァッサーという
画家達が好きなのである。(もちろん他にもたくさんいるが)

すると最近読んでる本の話になり
友人はちょうど今読んでる本があるから見せてあげると
鞄から出してきたそれは家の近所の古本屋で見つけたという
とある絵に詳しい小説家が世界的に有名な絵について
説明している本だった。

そこの一つにゴッホのひまわりについて
書いてあるページがあった。

ひまわりはアルルというところでゴッホはゴーギャンと一緒に
生活していた時期に描かれた作品だ。
ゴーギャンはその作品を見て、
まるで全て綺麗な女性が余す所なく美しい部分を
それぞれ見せているように感じたという。

しかしそれは美術が少し好きであれば
知っている有名なエピソードである。

今回僕が得た知識は
向日葵は太陽の方向を向いていると認識されているが
それは誤認識だったということだ
向日葵は常に太陽の方を向いて咲いているわけでなく
大きな葉が光合成を効率よくするべく太陽に向かって動くのだ
そのためにそれに連動して捻転し花の部分も
動いているだけだということ。
つまり、本当は若干太陽の動きとはズレて
動いているのだ。

今まで知らなかった、不思議にも思わなかった
新しい知識を飲み屋で友人の本から得たのだ。

僕にとって生きることは学びであり、
歩いていれば多くのものが目に入り
少し考えれば不思議なことがたくさんあるのに
ひょんなところから「ほへぇ!」となるのは
快感とも呼べる知識の訪れだった。

人は学ぶことをやめたら成長しなくなる
そして学びたいなら恥を捨て誰にでも学びを請えばいい。
しかも、ありがたいことにそれが容易く行える時代なのだから。

では、ご機嫌よう。

hrys


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