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ノースフェイスのロゴ、マルセル・デュシャン

以前Amazonでノースフェイスのダウンか何かを見ていた時のこと。Amazonの商品ページには質問コーナーが設けられていて、細かいスペックやサイズ感などについて質問することができる。で、そのノースフェイスのとある商品の質問コーナーで、「もしノースフェイスのロゴが入っていなくても買ってましたか?」というものがあった。なかなか哲学的というか切れ味の鋭い質問である。

ブランドのロゴというものは初めは当然ただのしるし、象徴にすぎないものが、ブランドが認知され評価が高まるにつれて〈品質の保証〉になり、そしてファンを作りそのイメージが自動運転を始めると、やがてプロダクトの細かい機能やデザインより「どのブランドか」が重要になるという逆転現象が起きる。件の質問者が指摘したかったのはそういった人がモノを選ぶときの構造的な歪さではないだろうか。

とはいえアウトドアブランドに関していえば、普段着よりも機能面の重要度は高いはずで、〈品質の保証〉としてブランドで選ぶというのもあながち的外れとは言えないが、さすがにただの白いTシャツや黒いキャップに、アパレルブランドやハイブランドのロゴが入っているだけで高い値段がつくことに違和感を感じる人は少なくないだろう。ブランド戦略としてはある意味成功と言えるのかもしれないが、どこかで揶揄とまではいかないまでも「そのロゴが入ってなくても買いましたか?」訊きたくなる気持ちはよくわかる。
そのような〈ブランド〉のある種の疑わしさに100年も前に気づいていたのが、アーティストのマルセル・デュシャン(1887–1968)である。


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デュシャンは初めは油絵なんかを描いていて、そこそこ名の知れた作家だった。1917年、彼はニューヨークで開かれたアンデパンダン展という、出品料を払えば無審査で誰の作品でも展示しますよ、という趣旨の展覧会の委員を務める。そこにデュシャンは偽名を使って、男性用小便器を横に倒してサインを入れた「だけ」のモノを『泉(噴水)』と題して出品。「無審査でどの作品も展示するんじゃないのか」「そもそもこれって作品なのか?」などなど議論が交わされた挙句、『泉』は展示されなかった。

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マルセル・デュシャン - src Original picture by Stieglitz, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8648377による

それまでのいわゆる「作品」は色がキレイとか形がかっこいいとかモチーフが何だとか、要は観賞する対象であったものが、デュシャンの『泉』は見る人に疑問を投げつけ考えさせるモノだった。これが今で言う「現代アート」の起源とも言われ、後のアーティストたちにただならぬ影響を与えたわけだが、ある意味現代アートが何だか分かりにくい印象を持たれがちなのも、この人のせいと言えるのかもしれない。

デュシャンについてはまだいろいろとあるのだが、ここでは「偽名を使って」出品した、というところに注目したい。

なぜ偽名を使ったのかというと、おそらく作品を純粋に作品として評価されたい、という意図からだと思われる。すでに名の知れた作家であった自身の作品だとバレてしまうと、「有名な先生の作品だから展示しなきゃ」とか「何か隠された意図があるのでは」といった見方をされ、作品そのものに、別の意味が追加されてしまう。そういった余計なものを取り払って純粋に作品を議論の俎上に乗せるべく、わざわざ偽名を使ったのではないだろうか。

デュシャンのこの行いは、大事なのはどこですかと、付加価値に気を取られすぎたものの見方に冷水をかけるようでもある。泉だけに。

あるアート作品に高い値段がつくと、「なんでこんなものが」「理解できない」などと言われがちだが結局は需要と供給のバランスで、人気のある作家、有名な作家の作品は高くなり、純粋に作品だけを見て値段が決まるわけではない。どんな作品かも大事だが、それと同じかそれ以上に「誰の作品か」も市場では重要である。この「誰」の部分を「ブランド」に置き換えると話が繋がる気がするのだが、どうだろうか。

ただの市場原理と見れば良いとも悪いとも言えないが、一方で「ブランド信仰」という言葉があるように、盲目的にブランドを求める人もいる。デュシャンの指摘は100年後の今も切れ味鋭い。ちなみに冒頭の質問に対する回答は「買うわけないでしょ」だった。

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