生を謳歌しよう。
ふと書きたくなったので、書こうと思います。
自分のための備忘録のつもりだけど、この記事が何処かの誰かの光になることを、ほんの少しだけ期待してつらつらと。
今からできることに目を向けよう。
中学2年生の頃、親父が突然亡くなった。
いつもは優しく、些細なことでも笑ってくれて、息子の僕からしてもカッコ良い親父でした。
その反面、習い事の野球に対しては厳しく指導された。練習でも、練習後でも、休みの日も、食事に対する姿勢などにも目を見張って、指導された。そんな厳しくも優しい父が亡くなった。
父が亡くなった実感は少し遅れてやってきた。
『あれ?世界は待ってくれない。』
涙も乾く暇なく、心身共に、疲れ果てているにも関わらず、明日は必ず来る。学校は今日も授業を進め、信号は今日も動いている。
無情にも時間は過ぎさるという事に、これでもかと言うほど打ちのめされた。
だからこそ、この時に誓ったことがある。
時間は必ず進むなら、ネガティブなことは程々に
今からできる事に目を向けよう。
何の捻りもなく、いかにも自己啓発本の冒頭の数ページあたりに書いているような言葉。
でも確かに、この言葉で次に進めた。
人生を快適に過ごすツール。
父から教わった野球は高校で卒業し、大学へと進学させてもらいました。学んだ教訓から、できる事に目を向けた。
留学にも行かせてもらい、大好きな本と関わるアルバイトにも励んだ。
あくる夜、当時付き合っていた彼女と連絡が取れず、妙な胸騒ぎがした。
彼女の妹から連絡があり、病院に駆けつけた。
脳内出血により、意識不明の重体。
約1ヶ月、意識不明のまま起き上がる日を待てど暮らせど、長いトンネルを抜ける事なく、静かに息を引き取った。
『あのときこうしていたら?』
『もっとできることはなかったか?』
父の死の教訓は、脆くも役に立たなかった。
『このまま生きるのは無理かもな。』
1秒1秒、罪悪感に苛まれる日を過ごした。
思わぬきっかけは、毎朝に浴びるシャワーだった。ぼっーと頭からシャワーを浴び、無心になる瞬間があった。罪悪感から解放された。
今で言うところの瞑想だと思う。この時、僕は人生を快適に過ごすツールを手に入れたんだ。
簡単には行かなかったけど、徐々に活力を取り戻し、教訓は以前より強固に根付いた。そして教訓を忘れないような、ささやかな手段も。
愛を全うする。
人生は時に残酷で、容赦なく、人の心を弄ぶ。
だけど、それはほんの側面でしかなく、同じ世界線では輝かしい瞬間が続いている。
今、自分とすれ違った人にも、大切な人がいる。
その大切な人にも大切な人がいる。
愛だよ。全て愛なんだよ。
まだまだ、信じきれない瞬間や、イライラが脳内を占拠する日もあるけど、愛を全うしようと思う。
さぁ生を謳歌しよう。
また書きます。
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