毎年のように、この時期に。
タイトルの通り、毎年の如く1年の振り返りをする時期がきました。
特にこれといって、社会に多大な功績を残した訳でも無いけれど、今年の経験なるものを言語化しておくのも悪くないと思います。
背伸びして得られる経験に積極的に投資する。
ことの大小に関わらず、自身が望むライフスタイルや感動できる経験には、積極的に身を投じることです。
それは、思い切って南の島へ旅に出ることかも。
それは、出張に有給を引っ付けることなのかも。
SNSやネットで知り得た情報も、実際に体験することに比べると雲泥の差となるのでしょう。
『書を捨てよ。町へ出よう。』
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“A golden opportunity.” will never come. ~セレンディピティを信じる~
もし今の自分の人間関係や環境、仮に心が躍らないお仕事の延長線上に「絶好のチャンス」が訪れることを期待しているなら、そんな妄想は、いっそ捨て去って良いんじゃないかと思うのです。
《セレンディピティ》これはイギリスの小説家・政治家であるホレース・ウォルポールが生みだした造語と言われていて《幸運な偶然を手に入れる力 》とも言われたりします。
好奇心に身を任せた、何気ない選択が、偶発的に幸運を引き寄せるなんてよく出来た寓話のようです。しかしながら仕事のキャリアも人間関係も意図せず、些細なキッカケが良い出会いを運んできたりするものですね。
かなり有名ですが、スティーブ・ジョブズの動画も参考になると思います↓
connecting the dots
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51 : 49 のバランスで考える。
もう名前も忘れてしまったけど、とある雑誌のインタビュー記事に、首がもげるほど頷いた。
とはいえ、普段から何も考えていなければそれは神頼みならぬ、思考停止モードになってしまう。
定期的に1人で思考を整理したり、自然の中に身を置いてみて、自分の状態をスキャニングしてみると『あぁ、こんな事してみたいなぁ。』なんてスキップしてしまいそうな気持ちに出会える。
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人生の終わりを想って生きることは、決してネガティブではない。
たしか、九死に一生の瞬間を厳選して放送するようなテレビ番組がやっていて、子供ながら生きられている事に安堵していた記憶がある。
その映像では、散歩中に、車が突っ込んでくるようなものだった。そう思うと私たちは、ほんの少しのタイミングで未来が途切れてしまうような危険と隣り合わせの世界で生きている事に気づく。だけど普通に暮らしていると、そんな出来事とは無縁のように過ごしている。
さて、ここがなんとも曖昧な表現になりますが、変に危険を煽りたいわけでもなく、毎日を生きられていることに感謝しろ。なんて説教くさいのも違う。ただただ、奇跡の中にいるってことだけ忘れずに、今世を全うしたいのです。
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