南青山児相問題と原発問題

 かなり乗り遅れた感がありますが、東京南青山の一等地に児童相談所を建設する計画が揉めている件について。

 東京都内には必要無いとか、日本国には必要無いといった児童相談所自体の必要性を否定する人はまずいないでしょう。じゃあ何が問題かというと、必要なはずの公共施設が自分の家のそばにあるのはまかりならん、ということですが、これって児童相談所だけではなくて、葬儀場とかゴミ焼却場とか幼稚園とかも同じ話ですよね。俺の家の近くに作るな、でも俺にも使わせろ、って話しです。

 実際に南青山のあの場所に設置するのが適切かどうかとか、取り上げられている一部住民の意見などについては、私自身は東京住まいではないし正直どっちでもいいのですが、公共施設を自宅のそばに作ることを許せるかどうか、というのは誰でも考えるべき問題です。

 この辺は人それぞれ許容範囲が異なると思います。ゴミ焼却場は駄目だけど児相はOKと言う人もいれば、自衛隊や米軍の基地もOKと言う人もいるでしょうし、もちろん何もかも駄目という人もいるでしょう。
 そういった公共性の高い施設・設備を自分がどれだけ使用するか、恩恵を受けるか、というプラス面での検討と、その施設によってどれだけ迷惑や損害を被るかというマイナス面での検討を行って、釣り合いが取れるところで判断することになります。

 そして2011年以降特に議論が出ている(最近は沈静化しているのかも知れませんが)原発問題ですが、そもそも原発に限らず電気は消費する場所の近くで発電するのが一番効率いいはずです。それならいっそのこと、東京湾や大阪湾に原子力発電所を作っちゃえばいいんじゃないですかね。あるいは小型の原発を都道府県庁所在地全てに建設するとか。特に賛成派の人達が言ってきたように本当に安全なのであれば。逆に反対派もそういう論点で切り込めば賛成派を黙らせることができるんじゃないかなという気がするんですが、どうなんでしょうか。

 当然ながらもし事故が起きたらどうするんだ、という話になります。東京湾や大阪湾で原発事故が発生すれば、人的被害や経済的被害は福島沿岸や敦賀湾とは比べものにならないのは原発賛成派だろうが反対派だろうが容易に理解出来るでしょう。
 ただ相手の言説を感情的に否定して自分の主張を声高に訴えるだけではそもそも議論が成り立ちませんし、当然ながら落としどころを探って結論を出すと言うことなど出来るわけもありません。相手の意見を理解した上で乗っかって問題点を指摘してこそ議論が深まるし、良くも悪くも妥協が出来るようになります。妥協せずに100対0で勝つには戦争しかありません。戦争に必ず勝つとは限りませんし、勝った方にもダメージは残ります。そんな戦争をしたくないのならどちらもどこかで妥協するしかないのです。

 冒頭の南青山児相問題であれば、児相反対住民をどうすれば説得できるのかという観点から考えるべきだと思いますが、メディアもネットもヒューマニズム的視点から非難したり馬鹿にしたりしているだけのような印象を受けます。
 例えば、児相によって治安が悪くならないという他地域のデータを出すとか、児相がなければかえって児相に入るような子ども達を管理監督できずにハイソサエティな街でなくなってしまうとか、いろいろ言い様はあると思いますが、ただ反対派住民の意見は間違っている、というだけだと、児相を作っても作らなくても住民は割れたままになるんじゃないでしょうか。

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