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自由民主党は政権を取るための政党であり、目的と手段が一致している

1955年に右派社会党と左派社会党が合併し、革新勢力の政権取りが現実味を帯びたことで、自由党と日本民主党の保守合同が成立しました。それが55年体制となり、90年代前半までほぼ安定した政治状況となっていました。

これは国内政治、経済的な要望、あるいは国際関係にも規定されてのことでしたが、そもそも日本の有権者が政治的に安定していることを望んで、自民党が勝つことを55年体制以降のほとんどの期間で認めてきました。

見方を変えると、自民党は革新勢力に政権を取らせないために作り出された政党であり、存在意義の第一はそこにあります。

通常の政党は、政治思想や政治的主張に基づいた政策を実現させるために存在し、政権を取ることでその政策を実現させようとします。

しかし、自由民主党は政権を取るための政党であり、目的と手段が一致している政党です。

歴史的な経緯だけではなく、その後の自民党の歴史を見ても、政権を取るために集まった政治家たちが作っている政党です。

だからこそ、改憲が党是であっても数十年間進みません。改憲反対の人もいるからです。経済政策、財政政策も保守を掲げていながら、どリベラルなバラマキが基本なのも、政治思想や政治的主張が元となった政党ではないからです。

内部での派閥抗争は激しかったですが、派閥ごとまとめて党を割って出ることはありませんでした。分裂が行われた93年は結果的に政権を失ったという事例は、自民党は結集していることが強みであることの証左です。

戦後の大半の時期において、政党同士の抗争が激しくならないのは、大政党である自民党が政策そのものでの政争は行っていないからではないでしょうか。

これは、戦前のデモクラシーが激しい政党間の抗争が、有権者から見放され、かつ軍部の台頭を招くという、痛恨の結果を招いたことが、無意識的に作り上げた事例なのかも知れません。

100年後や200年後の歴史学者から、20世紀後半から21世紀にかけて日本の政治で圧倒的に強かった自民党体制は、20世紀前半の激しい党争を再現させないために、自民党が常に勝つことで政治上の安定をもたらすために存在していた、と評されるかも知れません。

だからこそ、自民党には様々な思想の議員たちが存在しています。共産主義思想以外は全てあると言っても過言ではありません。安保・軍事的にも平和主義から再軍備を目指す人もいますし、経済政策でも緊縮財政からバラマキ主義まで取りそろえてきました。だからこそ、時代の変化に柔軟に対応出来て、ずっと政権を取り続けて来られたとも言えると思います。

93年や2009年に自民党が政権を失ったのは、思想的に敗れたからではありません。

野党側が、
「一度、自民党以外の政権を試してみませんか?」
と有権者に問いかけたからです。そこに思想や政策課題はありません。

もちろん、その直前の数年間に自民党政権が有権者の支持を失うような失策をしてきたからではありますが、政策転換のために政権交代が行われたわけではありませんでした。野党側が結集して、自民党政権を倒すことで一致した状況を作り、自民党の失敗によって政権が交代となりました。

自民党は安定している状況を作ることが勝つ要素の第一です。93年の交代劇は、冷戦崩壊・バブル崩壊など国際的・経済的な不安定な状況を対処に失敗したからです。

民主党政権が実現したのも、小泉政権下での郵政選挙において、自民党内に敵を作って切り捨てたが故に、その後に不安定な状況を招きました。政策で自民党にいるべき・出るべきを決めるという、党成立の「根本」から離れたが故に起きた下野だったと言えます。

つまり、自民党を分裂させれば野党の勝ち、分裂できなければ自民党の勝ち、という選挙が65年間続いてきたのです。

複数ある野党が結集して一致団結した選挙戦略を取るのは、自民党から政権を奪うためには必要な方策であることは確かですが、それだけでは変わりません。自民党を分裂させることが出来るかどうかにかかってくるのですが、自民党全体を非難対象としている内は、ずっと自公政権が続くでしょうね。

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