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オリンピックを平和の祭典にするためには

東京オリンピックがこの夏に行えるかどうか、賛成派と反対派が感情をむき出しにして攻撃し合っている状況がどっちに転ぶか次第ではありますが、少なくとも実施しても中止しても穏やかならぬ結果になりそうです。

オリンピックを平和の祭典と言い始めたのは、近代オリンピックを始めたクーベルタン男爵からのはずですが、実際のところはオリンピックが平和の象徴になるというよりも、平和な時代や社会においてのみ開催できる祭典である、といった方が良いかもしれません。

1916年のベルリン大会は第一次世界大戦で中止になり、
1936年のベルリン大会はナチス政権の国威発揚に利用され、
1940年の東京大会は第二次世界大戦で中止、
1944年のロンドン大会も同様に実施できず、
1972年のミュンヘン大会ではイスラエル選手団へのテロ事件で多くの犠牲者が出て、
1980年のモスクワ大会は前年のソ連のアフガン侵攻に対する西側諸国がボイコットを行い、
1984年のロサンゼルス大会は前回大会の報復で東側諸国がボイコット、
という、平和とはかけ離れた原因に苦しめられてきました。

オリンピックを開催することで平和になるのではなく、平和な時だからオリンピックを開催できるのだと思いますが、開催する側にしてみたら逆なんでしょうかね。

一方で、1976年のモントリオール大会で大赤字になった対策として、84年大会から商業主義に一気に転換して、チケット代・放映権料・スポンサー料で莫大なマネーが動く世界的大イベントになりました。アディダスと電通が組んだISLがIOCなどとの国際競技団体と一緒になって、綺麗な金も汚い金も稼ぎまくったわけです。

1988年のソウル大会、2000年のシドニー大会、2008年の北京大会、2016年のリオ大会と、過去に無かった地域や冷戦崩壊後の政治的な意図で選ばれる大会も出てきて、政治とオリンピックは切っても切り離せない関係になりました。

商業・政治との関係で今のオリンピックは成り立っています。そう考えると、この夏の東京オリンピックを中止するのにはとてつもない政治的リソースを消費し、商業的なマイナスも大きくなるはずです。その一方で、開催を強行してそれに伴う混乱や感染拡大が起きると、それはそれで政権にとって大ダメージになるのは間違いありません。

結局開催には、平和な環境が必要です。そして今の開催にはビジネスと政治の関係上、止めたいと言うだけでは止められません。某超巨大広告代理店とか多国籍大企業とか国際スポーツ組織とか、色々なしがらみが複雑に絡み合うイベントを中止する面倒さに直面しているわけです。

もう一年の延期は無いと去年からずっと言われていますが、ワクチン接種によって大半の人がそれなりの免疫を得られれば、それなりに平和な環境になるはずです。サッカーのカタールワールドカップとモロかぶりになりますが、わずかに時期はずれていれば何とかなりませんかね。

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