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「日本的な」サッカーとは何か

 先日のアジアカップラウンド16でのサウジアラビア戦における日本代表の戦い方については、絶賛する人はまあいないでしょう。消極的に評価する人がいる一方で、非難する向きも結構あるようです。

「新しいファンを獲得するスタイルでない」 英記者が森保Jの“非日本的”戦術を疑問視

 今大会のサウジアラビアはボール保持率が高い一方で攻めきれない弱点があり、かつ高さが無いためセットプレーに難があるという特徴がありました。森保監督はまさにその相手の長所と短所を見極めた上での戦い方を選択して、特に後半は早い段階で明確に守り勝つコンセプトをチームに指示したように思えます。個人的にはこれはこれでアリだと思いますし、そもそもアジアカップは理想の戦い方を実験する場所では無いと思っています。ただ、毎試合このサッカーだと選手の疲労度が半端ないですし、そもそも韓国・イランあたりには通用しないと思います。

 対するサウジアラビアは一時期の低迷を脱したかのようで、17年のW杯最終予選では、日本にとっては消化試合ながらホームで完勝して出場権を獲得しました。本大会でも94年大会以来の勝利を収めています。その時の監督を変えずにこのアジアカップに臨んでいますので、この大会に賭けていることは間違いないです。

 一方、日本はW杯後に西野監督から森保監督に交代して、A代表はこれまでテストマッチのみですので、監督・チームとしての成熟度はサウジに一日の長があります。そもそも過去のアジアサッカーの歴史から言って、サウジアラビアは日本から見て格下の存在でもありません。

 試合展開としては、前半最初は攻められるもののしのいだところであっさりとCKから先制できたので、日本としては別に無理をして攻撃的なサッカーを展開する必要が無くなりました。0-0のままだったり、あるいは失点するなりすればまた違ったでしょうけど、試合中にスタイルを変更する必要が無かったので守り続けた、という感じに思えます。もちろん、カウンターで追加点を取れれば良かったのですが、たらればの話しをし始めたらサウジの方が後悔は深いでしょう。

 アジアカップでのサウジアラビア戦では、2000年レバノン大会決勝でも望月のゴールで1-0で勝ったときも攻められっぱなしでした。あるいは1996年アトランタ五輪アジア最終予選準決勝でも2-1で勝ちましたがものすごい攻勢をしのぎきりました。

 「中東のチームとの対戦」イコール「日本が攻めて相手がカウンター」という図式を頭から外して観戦するべきだと思います。そもそもイランやイラクは伝統的に守備より攻撃のチームですし。

 最初の問題に戻りますが、そもそも「日本的な」サッカーというのはどんなサッカーでしょうか。ショートパスをつないでドリブルも織り交ぜてポゼッション率が高くシュートもガンガン放ち得点を取りまくり、かといって重厚な守備によって軽率な失点をしないようなサッカーでしょうか。それは理想であって目標では無いような気がします。ポゼッション率が高いサッカーが本当に日本的なのか。攻撃重視のサッカーが日本的なのか。

 南アW杯での岡田監督による大会直前での方針変更でのサッカーは日本的ではなかったのか。ロシアW杯での大会直前での監督交代による西野監督のサッカーは日本的だったのか。何が日本的なサッカーなのか、選手・指導者・ファン・その他関係者の間でコンセンサスがあるのでしょうか。そのコンセンサスがあったとして、そのサッカーは本当に日本に向いているのでしょうか。チーム一丸となって長い時間我慢強く「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」のは日本的ではないのでしょうか。あるいは守りを捨てて「特攻」するのが日本的なのでしょうか。どちらも極端な話になってしまいますが、果たして本当に「日本的な」サッカーとは何でしょうか。

 日本サッカーのバルサ化を唱える人は山ほどいます。日本サッカーのメキシコ代表化を主張する人も根強いです。どちらも身長が高くないのに確立してあるサッカーに憧れているのだと思いますが、日本人とスペイン人、日本人とメキシコ人の間の共通点ってむしろ身長が高くないことぐらいなんじゃないでしょうか。テクニックや筋肉の質やスピードやメンタルやいろいろな面が違っているのなら、バルサ化もメキシコ代表化も無理でしょう。

 イビチャ・オシムが「日本サッカーの日本化」を唱えて日本代表監督になってから12年以上経ちますが、本当に日本化されてきているのでしょうか。未だに、各自が自分の好みのサッカーを主張しているだけのような気がしてなりません。

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