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チャリティーやボランティアに偽善性はあるか?

寄付、チャリティーやボランティアについて公言すると、誰でもいつでも「それは偽善だ」「売名行為だ」という非難を浴びせる人がいます。

本当にその慈善行為が偽善なのかどうかはそれを行った本人にしか分からないはずですが、なぜかこういう非難はSNS時代の今でもというか今になってより一層広がっているように思えます。

その一方で「やらない善よりやる偽善」という言葉もあります。ただ、そもそも誰かの善行を「偽善」だといって根拠なしに非難する行為は「やらない善」ですらありません。単なる難癖です。

日常的なチャリティーやボランティアにしろ、無償あるいは寄付などでお金や手間や時間を費やして行動しているのであればそもそも偽善でもなく単なる善行です。

ことさら自慢する必要はありませんが、その善行につられて自分もやってみよう、と思う人が増えるのであれば売名行為とも言えないでしょう。人に善を勧めるのは善に間違いありません。

そもそも、単に善行を行っている人を偽善だというのは、侮辱であるだけではなく「偽善」という言葉を間違って使っています。

例えばどこかの慈善団体に100万円寄付した人が、その団体から200万円を影で受け取っていたら間違いなく偽善でしょうけれど、100万円寄付したことを公言しただけでは偽善にはなりません。虚栄心や自己顕示欲を満たしている行為かも知れませんが、そのこと自体で寄付したことがなくなるわけでもないし、寄付を受けた人が何らかの被害を受けるわけでもありません。例え売名の意図があったとしても売名になるかどうかはそのニュースを聞いた人の受け取り方次第です。

自己満足のために寄付やボランティアなどをしたところで何が悪いのか、という話でもあります。先の「やらない善よりやる偽善」という言葉にある、「やらない善」という概念自体がそもそも無理がある存在です。何もしていない「善」というのが存在しているのか、ということです。

ただ、良いと思っていることをすれば善行になるのか、なんでもいいのか、というと微妙なところです。栄養視聴かつ飢え死にしそうな人にいきなり栄養過多の食事を与えるとかなりの確率でかえって身体を悪くして最悪死にます。善の考え方というのは哲学、倫理学でいくらでも考えられる概念です。何が良いことなのか、何が善行なのかというのは誰もが死ぬまで真剣に考えても答えが出ないかも知れないくらい、深遠な問題です。ただ、他人が行っている善行を偽善だと断ずることが出来る人間なんて基本的にはいないと思っていいでしょう。

ちなみに、

人が言うと書いて「信」
人が為すと書いて「偽」

という漢字になります。

人が言うのは天に誓う言葉だから信用でき、人が為すのは天ではない人が為す行為だから偽りになります。さらに言うと、

言を成すと書いて「誠」

となります。人が言ったことを成立させれば「誠」になるのですから、善行をSNSで書いたっていいじゃないですかね。

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