銀行員の服装にケチをつける人がいた昔と、自由な服装が認められる今

昔、自分が中学生くらいの頃だったと思いますが、新聞の投書欄に載っていた読者からの意見に驚いたことがありました。

内容としては、

「銀行に入っていく行員らしき女性がズボンを履いて出勤していたのはけしからん。ちゃんとした服装で通勤すべきだ」

というものでした。意見のあまりの理不尽さに衝撃を覚えて親と話したことを覚えています。今の時代にこんな投書を載せていたら、その新聞社は総叩きの社会的制裁を食らうでしょう。

そもそもその投書が載った時代だとしてもアカンやろうとは子供心に思いました。問題点は二つあり、まずその投書を書いた人(多分、老齢男性)の価値観があまりに古すぎて、女性差別・女性蔑視もある点。もう一つは、その当初を新聞社が平気で掲載したことです。

書いた人の価値観はさすがに時代遅れもあると思いますが、日本国憲法では個人の思想信条に関する自由を認められていますので、投書はともかく勝手に考える分には勝手にすれば良い話です。

ただ、それを新聞社が掲載するのはまた話が違ってきます。新聞の投書欄はある意味、読者の名を借りた別の社説の紹介です。少なくとも、その新聞の思想に全く合致しない思想に基づく投書は、例え数が多くても紹介されないでしょう。

少なくともその時期のその新聞社のその投書欄担当者にとっては、その投書内容は全くもって無茶苦茶な話ではなく、むしろ世間に紹介したい内容だったということです。

何故今さらこんなことを思い出したかというと、こんなニュースリリースを見かけたからです。

通勤時ではなく就業時の服装を自由化するということで、女性の銀行員の制服を廃止して私服で勤務するということになるのですが、かつての前述の投書を書いた人からしたら目を回しそうな決定です。

この決定に至る過程では、接客対応する銀行員はスタッフ証を胸に付けているか、首から提げているかしているはずなので、服装は自由で良いんじゃないか、という議論もあったことでしょう。

社会構造の変化、ネットバンキングの普及などによって、銀行の実店舗に求められるサービスと、経費の許容度は大きく変わりました。

人件費を減らしつつ、若い世代からの支持を得て人手不足の解消も図らねばならないという二律背反的ソリューションを実行せねばならない銀行にとって、この流れはマイナーではなくメジャーな選択肢になるのでしょう。

Z世代と言われる若者世代は、昭和・平成初期的な価値観とは全く異なり、高級品への物欲もなく、バリバリ出世を目指すわけでもないと思われていますが、物事全てに執着心が無いわけではなく、自分個人の中身に介入されたら反発します。

一般的な社会人で言えば、転勤や残業・休日出勤など空間や時間的な個人領域を侵害されると嫌がります。タイパという言葉にも表れています。

そして服装という個人の外見的思想に関しても似たようなものかも知れず、Z世代に対する対応としては今回のりそな銀行のような形は増えていくのでしょうね。

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