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空き地は街の鏡

私が子どもの頃は街中に空き地がありました。

草ぼうぼうで子どもがいつも遊ぶスペースだけ、草が生えずに土が露出しているような場所です。

ドラえもんで出てくる土管のある空き地を想像すればいいでしょうか。私が遊んでいた空き地には土管なんてありませんでしたが。

そういった空き地も今では無くなりました。

おそらく、バブル景気による不動産開発が都会の空き地をマンションに変えていったのだと思いますが、景気が悪くなってからも少し空いたスペースがあれば、大なり小なりマンションが建っていきました。

最近の京都なんかではマンションではなくホテルが建つことも多かったですが、今あるような空き地は、元の建物が取り壊されて、新しくマンションやホテルが建つまで一時的に仮囲いがされているような場所くらいです。

そして囲いがあるので人は入れず、子どもの遊び場になることはあり得ません。むしろ、囲いの中にいつの間にか空き缶などのゴミが投げ捨てられています。

空き地は街の鏡だと思います。

空き地にゴミが捨てられてしまうような街ということです。

空き地がない街ももちろんありますが、それはそれで自分たちを振り返ってみる余裕がない街と言えるかも知れません。

多分、空き地のあった時代よりも今の方が余裕が無くなった社会になったのだと思います。

今回のコロナ禍により、社会情勢や経済的な影響に大きな変化が生まれることでしょう。既に生まれているでしょうけれど、ビルや家の取り壊しも残念ながらあるはずです。

ただ、今ある建物を壊すのは、現代ではその後に新しい建物を作ることが決まっている場合に行われます。

その場所を利用したいという買い手が見つからなければ、いわゆる「空き家問題」として認識されているような、空き家・廃屋として存在し続けます。

空き家もまた街の鏡の一面です。しかし空き地とは違い、遊び場には出来ません。してもいけません。むしろ誰かが勝手に住み着いていたり、放火や事故・事件の温床になりかねません。

空き家・廃屋が多くなるとしたら、それもその街の状況を物語っていると言えます。

空き地という余裕も無く、空き家という問題を抱えながら、街はどうなっていくのでしょうか。

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