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ニュースを巡る一次史料と二次史料

自分が接している報道が、果たして真実かどうかはすぐには分かりませんし、そもそもほとんど確実に正しいかどうかを思えることはありません。
そうは言っても全ての情報を間違っていると判断するのも信じるのと同じくらい危険なことですし、独断が過ぎます。

自分が接した情報が、どこまで真実に近いものかを類推する一つの方法としては、その情報が情報源にどれだけ近いかどうかということがあります。

歴史学で言う一次史料・二次史料的な考え方を持って報道を受け止めれば、どこまでこの情報は信頼できるか、胡散臭いかという判別はやりやすくなります。

「一次史料」とは歴史上の事件・事象に対して、その同じ時代にいて直接接した当事者が残した書類や文献を意味します。「二次史料」は、間接的にその事件などに接した人が又聞きで得た情報を残したものとか、時代が下ってから記録された文書とかが当たります。

当然ながら一次史料の方が価値は高く、二次史料は書いた人の偏見や想像、その人が属する組織などの思惑が入り込んだりしがちです。もちろん、一次史料だから無批判に100%信用できるものとは限りません。それこそその一次史料を書いた人が勘違いや間違いをしている可能性もあります。

逆に二次史料だって一次史料の誤りを訂正したり、後代だからこそ一次史料をまとめられるメリットもありますが、たいていは二次史料よりは一次史料の方が信頼性は高くなります。

これらは歴史学の話ですが、今を生きる人が接するマスメディアやSNSからの情報にも運用できるのではないでしょうか。

何らかのニュースで出てきた情報が、当事者が直接語っているものか、当事者の近くに居る人の発言か、当事者から遠い人が言っているのか、あるいは人物不詳・情報通・業界関係者の発言なのかを確認するだけでも区別できます。

これにしたって当事者が言っているから信用できるとは限りませんが、全く無関係の人間が語っているよりは、例え嘘であってもその情報としての重要性は価値があります。

ニュースを見るとき読むときに、そのニュースに関して見解を述べているのは
・当事者
・当事者にとって利益がある人
・当事者と対立する人
・無関係な人
とか色々ありますが、それこそそのニュースを報道している組織自体の意見や思惑だって入り込みます。その辺の見極めは情報を手に入れるときに心がけておいた方が、大きな勘違いや間違いをする可能性は確実に小さくなります。

誰が言っているのかを色眼鏡で見てしまうリスクはあります。また、本当に重要で貴重で真実に近い情報を、名前を出さずに報道機関やネット上ににリークすることもありますので、機械的に信頼性を順位付けしてはいけないのは確かなのですが、もうその辺は一般人には分からないことですので、ある程度の半信半疑に軽重を付ける程度で良いんじゃないでしょうか?

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