高校生の論文が批判されるのではなく、書くことが当然の世の中になってほしい
ニューズウィークのこちらの記事について
これを読むまで、そもそも悠仁様の論文について知らなかったし、その論文に対して批判があることも知らなかったので、いわば三次資料で論じるみたいな形になってしまいますが、少しこの件で思ったことを。
高校生で学術論文を書く、ということは確かに批判にある通り大変難しいはずで、独力独学で一から十まで書ける高校生なんてほぼいないでしょう。
ただ、記事中にもある通り、論文を掲載する媒体には大きな差があり、世界トップ学者の論文が載るものから、一つの組織の発表媒体に過ぎないものまでピンキリです。共同研究者の所属する博物館が出している学術誌だったら、いっちゃ悪いが載せる載せないは論文の質「以外」も考慮されます。これは著者が皇族でなくても同じです。
高校生なのに共同研究に加われることが不公平だという意見についても、ぶっちゃけ皇族だからこそ一般の研究者が立ち入れない御用地での生態を研究できるのです。俗っぽく例えると、田舎の山を持っている地主に対して調査の立ち入りをお願いした研究者が、その研究に興味がある地主の息子にも配慮して一緒に研究に誘ったような形でしょうか。高校生レベルだとそうは無いかも知れませんが、大学生レベルならこういう忖度とか、一般人においても結構ありそうな気もするのですが。
研究者が立ち入れない御用地を利用して研究に参加するのも一般人から見たら不公平だという人もいるでしょうけれど、そもそも皇族は一般人のようにどこにでも出掛けていつでも研究できる立場ではありません。御用地以外での研究が制限されるのなら、御用地での研究が制限される一般人と大差ないのではないでしょうか。
皇族の基本的人権を制限することで日本における立憲君主制のシステムが維持されている以上、ある程度は大目に見ても良いと思うのですよね。その程度問題ではあるでしょうけれど。
そもそも今回の批判の発端である、「高校生が学術論文を書く」ということが「おかしい」とするのではなく、高校生でも論文を書く機会・学ぶ機会・発表する機会を増やしていけるような方向に持っていくべきではないでしょうか。