卒業制作日誌 (終)
卒業制作展やら、卒業式やら、引っ越しやら、立て続けに大きなイベントが過ぎていき、気が付いたらもう美大生じゃなくなっていた。学生証は手元から消えてしまったし、大学があるあの街に住むこともたぶん二度とない。まだ卒業した実感が湧いてこないけれど、思い出が遠くなるにつれて徐々につらくなる予感がする。今からちょっと怖い。
結局のところ、大学生のうちに就職先も決まらなかったし、なんだか体調も良くないしで、今のところどこにも行き先がない。卒業制作を完成させられたという事実だけが、今の自分をなんとか立たせてくれている。
その卒業制作も、評価してもらうより先に、作品を鑑賞してもらうことそのものが難しいなと感じていた。7分半のアニメーションを進んで見てくれる人というのは、美大の外に一旦出てしまうとなかなかいないのではないかと思う。映像作品は、鑑賞する時間を鑑賞者が決めることができない。作品の長さの分、鑑賞者の貴重な時間をもらっているわけだけれど、それほどのレベルにはまだ達していない気がする…
だから、卒業制作展のアンケートや感想ノートで、自分の作品が挙げられているのを見て、あ、本当に見てくれる人がいるのか…と少しほっとしたのだった。展示が始まるまで「どうせ誰にも見てもらえないんだし…」と投げやりになってやさぐれていた心が、外側に少し開いたような感じがした。大学生活の最後の最後で、「自分のこと(作品)を見てくれる人は必ずいる」ということが学べたので、よかったと思う。
卒業制作だけじゃなくて、他人に対しても、社会に対しても「どうせ自分のことなんか気にかけてもらえないし…」と諦めるような気持ちがずっとあった。実感するのが難しいだけで、自分のことを細かく見て評価してくれている人はいるということを、少しづつ分かりかけている気がする。
卒業制作を作っていて苦しかったのは、過去の苦しい体験とかトラウマとか、人に話せないような心の中の暗い部分が、作品とがっちり結びついているように感じていたことだった。
制作に打ち込んで、作品の完成度が上がっていくほど、今まで溜め込んでいたものが昇華されていって、作品を鑑賞する側にも自分のことをわかってもらえるような気がした。逆に、作品がうまく作れなかったら、ずっと自分の苦しみはそのままなんだと思った。
悩みを言葉にして話してみても、誰にも気持ちを理解してもらえていないような気がした。自分以外の全てを拒絶したい気持ちと、周りに受け入れられたい気持ちが常に混ざっていて、それを解決できるのは作品を制作することだけだと思い込んでいた。
残念ながら、制作が終わってひと段落した今でも、決して心の傷とか悩みが解決したとは言えない。自分が考えているより、自分を癒すにはもっと複雑な段階を踏まなくてはならないことがわかった。作品は、手を動かせば完成するけれど、心はそうはいかないらしい。心の構造は複雑すぎて、たった一度の制作ごときで全ての傷を治すのは難しい。
ただ、作品を作るということは、あるところから強制的に心そのものに作用してしまうような、そういう行為なんじゃないかと思う。それは、心のトラウマに向き合ったどうかとかは多分あまり関係なくて、なにを考えて制作したかとか、どうやって手を動かしたかとか、そういうものの積み重ねで起こる変化なんだと思う。
作品を作る日常を過ごすことで、心の表面に張っている固い殻みたいなものが、一部分だけ、ほんの少しだけ剥がれていく。剥がれた分だけ、頑なに他人とか社会を拒絶したくなる気持ちが、少し柔らかくなっていく。心の表面の全てを一気に取り払うことはできないけれど、一度殻が剥がれた場所をさらに剥がし続けたら、やがて心の奥底の一部分だけでも、世界を信じられるようになれるんじゃないかと思う。
私のトラウマは心の深いところまで入り込んでいて、卒業制作を終わらせたくらいでは解決できない。
外の世界に出て色々なものを見て、人と話したり美味しいものを食べたり、お酒を飲んで笑ったりして、沈みがちで不機嫌な自分の機嫌を取る。そういう生活の中に、作品制作があればいいのかなと思う。そうやって、日常の中で何かしらを作りながら何年か過ごしているうちに、マシな状態になっていく気がする。
「私だけがみんなと違う」とか「孤独を誰にもわかってもらえない」という感覚は、無理に払拭しようとしなくていいのかな、という気がする。誰かにわかってもらう必要もなければ、寂しさそのものをなかったことする必要もない。
「つらいのはわかるけど、そんなに暗いこと言わなくたって…」と言われるたびに味わう寂しさは、自分の内側に包んで、そのままにしておく。いつか、また作品を作る過程で、またはそれを誰かに見てもらうときに、思いがけず救われるのを待ちつつ。
これからは自分のために、自分を癒して生きていたいし、モノを作っていたい。そして、今はなんとなく、それが前よりもできているような気がする。だからたぶん、この先進むべき道はまだわからないけれど、大丈夫だと思う。
とりあえずは、そういうことにしておきたい。
(卒業制作日誌 おわり)
(いつも「note読んでるよ!」と言ってくれる皆さん、ありがとうございます…!今年度に入ってからは特に、ブックマークしてくれたり、お母さんも読んでる(←!?)とか聞くこともあって嬉しいです。更新がゆっくりなのと、締めの記事がなんか暗くってすいません。もしよければ、これからも書くので読んでください〜)
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