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もしも私がバイセクシャルだったら

「人間ってもともと、1割が同性愛、3割が異性愛、残りの6割はバイセクシャルらしいで!」

夫がなんの根拠もない興味深い話をぶちこんできた。
ことの真偽はまじで知らんが、一般夫婦が自宅リビングでそれについて盛り上がるのは自由だ。そこで考えてみることにした。

もしも私がバイセクシャルで、同性である女性に恋をするとしたらどんな相手を選ぶのだろう。

実は私は幼いころからちょっと男っぽいところがあった。9歳のとき初めて行った美容室でショートカットの刈り上げにしたときにとてもしっくりきたのをよく覚えている。服装もズボンばかりで、大学時代もボーイッシュ、マニッシュなスタイルを選んだ。(中高の制服だけはスカートを履いていた、規定のものとして違和感も抵抗感もなくすんなりと。)

色気付いていく女友達を見ながら、私が男だったらこんな子と結婚したいわと思うこともあった。気建がよくて、感動やさんで、一生懸命な子が好きだったしとてもかわいく思え、守ってやりたいという気持ちになった。

そんな過去の女たちに想いを馳せ「私は元々ちょっと男っぽいところがあるから、付き合うなら女らしい女性を選ぶと思う」というと夫は「俺は、男らしい男を好きになると思う。俺ちょっと中性的なところがあるからかな〜」と言った夫の顔はすでにゲイの人の意気込みがあった。

夫は176センチ70キロで、ガタイこそまあまあデカイが童顔で、仕草や雰囲気はすこし中性的である。そう、私が好きになる男性はいつも中性的だった。小学生のころにみんながジャニーズにキャーキャーしてたタイミングでLUNA SEAのRYUICHIに一目惚れしたところから始まっている。

なるほど、男っぽい女である私と、女っぽい男である夫だから、相性がよかったのかもしれないと妙に合点がいった。

私たち夫婦は男と女が好き合い婚姻を決めた、いわゆるストレートというやつである。珍しくはないが、これを「普通」とは言わない方がいいのだろう。なにが普通かなんて人によって違うことを認めるのが多様性というらしいのだから。

我々が異性をパートナーに選んだこと自体が、本能からくるものか、社会的に染み付いた感覚でそうなったのかすらもはやわからない。本当はバイセクシャルの可能性だってある。ただ私たちは多様性の中から今のパートナーを選んだと言える。(多様性の使い方あってる?)

結婚して10年。母親になって7年。私は今、自分のことを「俺」と呼んでいる。娘には、「かかは女やろ!俺っていうのはおかしいやろ!」と注意されているが「だって、言いやすいししっくりくるんやもん」とよくわからない言い訳をしている。いいんだ。多様性だ。




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