日本ヨーロッパ紀行①◆直径数センチメートルの「歴史」を訪ねる。
モーツァルトの愛した〇〇をこの目で見たい
初秋。ネットで次のお出かけ候補地をあれこれ検索していたら、東京・谷中の住宅街に古今東西のあらゆるボタンを扱ったギャラリーがあると知り、ちょっとした衝動にかられた。
「モーツァルトの愛した”赤い服”のボタンをこの目で見たい!」
モーツァルトの肖像画の中で一番に有名なものといえば、モーツァルトの死から21年後の1812年、チェコの画家バーバラ・クラフトによって描かれたものだろう。この女性が描いたモーツァルトが、あまりにも(きっと本人以上に)イケメンだったため、モーツァルトといえば「(なんか貧乏らしいのに)赤い服を着たチャラい系お兄さん」のイメージが定着したようだ。
ここにモーツァルトの手紙がある。
ウイーンの店先で見つけた真っ赤なフロック(ということは立襟付き?)に一目惚れして、パトロンである貴族女性に、控えめながらも「おねだり」しているこの手紙。コートに合わせたいボタンは、既に用立て済みだった。
好奇心に駆られた私は、早速ボタンギャラリーへの予約を済ませ、東京・台東区は谷中の「Yanaka Red House Button Gallery」さんに向かった。
店内に一歩足を踏み入れた途端、圧倒された。床と天井以外すべてボタンで埋め尽くされているといっていい。思わず歓喜の声を漏らした。予約制なことをいいことに、オーナーのドリーヴス公美さんに5分と待たず話しかけてしまった。
「モーツァルトの・・・18世紀末のボタンはどれですか?」
果たして、案内してもらった18世紀末頃のボタンは、まさにそのものズバリだった。モーツァルトが書いていた「貝と宝石、そのまわりを石が取り囲んだボタン」に一番近いのは画像中央の3つ。ガラスのショーウインドウに顔を近づけ、食い入るように見つめてしまう。思わず涙が出そうになった。
ボタンはさながらミニチュア「標本」
公美さんは続いて、周囲の同時代のボタンを見るようにと促してくれた。特に左側。それは直径数センチメートルの小窓に閉じ込めた「自然」の現れだった。鳥の羽根・草花・昆虫。さながら時間を閉じ込めた「標本」である。当時は他にも模造石・細密画・象牙・エマイユ(七宝)・種子・織物・ガラス・毛髪など、あらゆる自然の素材が使われたらしい。
18世紀後半のロココ時代は、いわゆる啓蒙思想の時代だ。フランスでは、ディドロとダランベールらが中心となり『百科全書』が断続的に発売され、自然は科学的な研究対象となると同時に賛美された。そうした時代に装飾品に「自然」を閉じ込め、愛でつつ持ち歩くものとしてボタンが一役買っていたわけだ。(実は17世紀には「(もうキリがないから)高価なボタンは禁止令」なるものがヴェネチアで出回ったらしいが、誰も律儀にそんな決まりを守る者はいなかったという)
当時はボタンホールで縫い付けるのではなくハトメ式で、好きな時に好きなボタンに付け替えては、上着とボタンのコーディーネートを楽しんだ。ちなみに映画『アマデウス』の台本でも、モーツァルトの服装について、ト書きには「stylishly」と書かれているが、実際のモーツァルトも「しゃれた」「流行の」「当世風の」服装で、好きな着道楽を楽しんでいたとみえる。お気に入りの服装で妻のコンスタンツェと、朝に夕にプラーター公園をそぞろ歩く(当時、散歩はセレブのエクササイズ的趣味だった)のを楽しみにしていたモーツァルト。路端に咲く草花や、季節の風を感じながら「自然」の美しさを満喫したに違いない。
ああ見えて意外とナチュラル志向なのだ
さて、この時代の服装も「自然さ」をアピールしたものになっている。バロックの、質実剛健ではあるがどことなく野暮ったさが残る、軍服基調の上着「ブランデンブルク」(『アマデウス』で古風なものを愛するスヴィーテン男爵が着ていた上着だ)よりも曲線的にボディラインを見せるシルエット(アビ・ア・ラ・フランセーズ)になった。シャツ・ベスト・上着の重ね着を自然かつ有機的な「ひとつの流れ」として捉える。上着のボタンは留めない。ボタンの並びをあえて見せることで、セットアップとして地続きの美しさを表現するのだ。(そういえば、私は昔から基本的にジャケットのボタンはとめない派なのだが、これまさにアビ・ア・ラ・フランセーズ的に着たかったらしいと、やっと腑におちた)
そしてこの「自然であることはいいことだ」は、モーツァルトの音楽にも美意識・思想として顕著に現れている。オペラのストーリー運びや、器楽曲の展開の仕方にも、彼の自然観は随所にみられる。オペラの台本で、不自然な部分や唐突すぎる展開があれば、容赦なく書き直しを要求した。そしてギリシャやローマの大袈裟に見栄を切るような英雄伝説よりも『フィガロの結婚』のような日常にありふれたリアリティのあるラブストーリーをオペラの題材として好んだのも、そうした彼の「自然観——ありのままの美しさ」への思いがあったのではないだろうか。
余談だが、おそらくモーツァルトは、小物・こまごまとした「カワイイもの」が大好きだっただろう。21歳の頃、マンハイムで急速に距離を縮めた従妹の女性・ベーズレをデートに誘ったのも「金細工屋」でのウィンドウショッピングだった。金細工といっても仰々しいオブジェが目当てだったのではないはずだ。おそらくシガレットケースとか名刺入れとか、アクセサリーのような装飾品を見に行ったのだろうと思う。もし彼が現代の日本に演奏旅行に来たら、興奮してガチャをやりまくり(ギャンブル魂に火がついて)また「箸置き」をたくさん買って、ホクホク顔で帰路についたことだろう。
お目当てのボタンと対面し、すっかり興奮した私は、我が身を振り返る余裕もないままに、モーツァルトとボタンのエピソードを一気に話しまくってしまった。しかしそれが逆に、公美さんが抱いていたこれまでのモーツァルト像「ビンボーだから、さぞや服装もみすぼらしかったのだろう」というイメージを覆すことになったようだった。そう、彼の貧乏の原因は浪費にある。「モーツァルトのイメージ変わった!彼が美しい服を着ていたと知ったことは、今日の一番のトピックかもしれません」とまで仰ってくれた公美さんの言葉が嬉しくてたまらない。モーツァルト・エヴァンジェリスト(笑)としてこれほど光栄なことはない。
※画像(下)のボタンは、珍しくボタンホールがあって、何気に仮面になっているという茶目っ気がよい。実はこれが一番気に入ってしまった。
ボタンとジェンダーの意外な関係
ボタンは想像以上に「歴史」を反映している。何なら経年劣化していく服(生地)よりも、生き生きとその時代を映し出す。直径数センチの「小窓」から当時の社会の風潮までもが想像できてしまうから凄いものだ。
ここからは、モーツァルトから離れて、デザインというよりも「はたらき」、特にボタンが象徴する男女差、ジェンダー的機能について少し触れておくことにしよう。
というのも、公美さんの1時間にわたる熱いボタン史を語ってくれた中でも、ひときわ印象に残ったボタンがあったからだ。それは19世紀に数個セットで売られていたもので、物語の一場面がひとつひとつに描かれている。これらは特に女性に好まれたらしい。確かにとてもカワイイなあ、その時は単純にそう思ったのだが・・・このストーリー仕立てのボタン、どういう服に付けたのかというと、雑貨として飾ったり仲間と見せ合ったり、つまり単に「愛でるため」のものだったらしい。
女性が本格的に「ボタンが丸見えの服」を着るようになったのは、実は近代に入ってからだという。「ズラっと並んだボタン」にフェチ的なときめきを感じる私としては、これは驚きだ。こうなると女性とボタンの関係ってどうだったんだろう、ということが俄然気になってくる。
ボタンの機能性は女性に向かない?
家に帰ってみて興味深い論文(※2)を見つけた。それによると西洋では、ボタンを見せるということは「機能性を見せる・手の内を見せる」という意味を含んでいたらしいのだ。確かにモーツァルトではないが、これ見よがしに前身頃に並んだボタンは男性的な「財力や権力の誇示」であり、あくまで装飾品だったのだ。(そもそもボタンを留めない→見せつけるだけという着方がそれを物語っている)。逆に、ボタンを含めあらゆる機能性をあえて見せていい服の代表といえば「軍服」だ。それらの対極とみなされた女性の服には、機能性の象徴であるボタンは極力隠すべきものと考えられていたらしい。
ゆえにボタンは隠された。ロココ時代のローブ・ア・ラ・フランセーズ~エンパイアドレス~クリノリンで膨らませたドレス~バッスルドレスと続く女性のドレス史の中でも、留め具として機能していたボタンは、その上にリボンやレースや・フリルがあしらわれ、巧妙に隠されていた。しかし時代が下り、女性も労働力として社会進出するようになると、次第にボタンは隠されなくなっていった。現代は概ね女性だからといって、ボタンを隠すようなことはしていないと見える。しかしよくよく考えてみるとその名残は残っていそうだ。例えばビジネスシーンだ。
常々不思議だったのだ。ビジネスシーンで着用する女性用スーツのボタンの少なさが。3つ、4つとボタンが並んだものは(お洒落として着るモッズスーツなら別だが)フォーマルではほとんど存在しない。胸の空きを強調し、胴回りを絞ってヒップラインを強調し、ボタンは1つもしくは2つ。ジャケットの下はワイシャツでもいいのだが、やや男性的に見える。それよりも、「とろみ系」とかいう、ボタンのないストンとした生地のアンダーウェアが好まれるのではないか。
礼服もそうだ。ボタンがずらっと並んでいるようなものは見かけない。さすがに現代ではビスチェのように紐で締めあげることはなくても、極力目立たない鍵ホックで控えめに留めているはず。
まさか「ボタン=女性らしくないもの」という、西洋の謎風潮の名残がまだ綿々と引き継がれているのでは。。。ボタンギャラリーに行ってからというもの、こう考えずにはいられない。逆に最近は、男性のオフィスカジュアルとして襟のない丸首やVネックにジャケットを羽織ることも「あり」になってきているので、それでもゆるやかに男女差は混ざりつつあるのか。とはいえボタンがジェンダーに関わっているということは、意外に盲点で、驚きを感じずにはいられなかった。
というわけで、ボタンひとつを見ただけで、こんなにも世界の周縁が見渡せるとは、思いがけない奥の深さに感嘆しかなかった。オーナーのドリーヴス公美さんと、まるまる1時間ほど歴史愛を語り合い、濃密な時間を過ごすことができたことは、本当に楽しかった。貴重なお話を本当にありがとうございました。そして(本当は撮影禁止なのですが)ここに画像を2点載せさせて頂いたことも、この場を借りて併せて御礼申し上げます。
さて、Ynamaka Red House Button Gallery さんには、歴史的なアンティークボタンだけでなく、現代の作家さんのものから動物モチーフのものまで、とにかくありとあらゆる魅力的なボタンが揃っています!ボタン単体で愛でる用にお買い求めいただくも良し、手持ちのお洋服をボタンでイメチェンするなど実際に使用する目的でも良し。意外とリーズナブルなお値段のものも多数あるので、ご興味がある方はぜひ一度足を運び、自分だけのお気に入りのボタンと出会っていただきたいと思います。
★予約制です!必ずサイトをご覧ください★
引用・参考文献
(※1)岩波文庫『モーツァルトの手紙 その生涯とロマン(下)』
柴田治三郎 編訳
(※2)「西洋服飾におけるボタン:その機能性と装飾性に関する一考察」
柴田美恵(千葉大学教育学部研究紀要)https://cir.nii.ac.jp/crid/1050851497143433216
★過去記事もお読みください★
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