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風(おと)と官能 【第2回】クリスチャン・ディオール展:回想:「母なる美神の"胃袋"」

3月。桜が開花を始めた早春の下町。東京都現代美術館で開催されている「クリスチャン・ディオール 〜夢のクチュリエ〜」に行ってきた。

まずはエントランスの圧倒的存在感に息を飲む。白亜の壁の中央に、シンプルながらも凛としたプライドを感じさせる「Christian Dior」の文字。人を寄せ付けない圧倒的な佇まい。それでいて蠱惑的な吸引力も漂う、そんなアンビバレントな緊張感を引き起こす展覧会の幕開けだ。

続々と、下の小さな黒い穴に来場者が吸い込まれていく。私もその1人だ。ディオールの品格ある美しさ、しかしどことなく漂う少女のような可憐さには格別の憧れがある。しかしながら(化粧品やフレグランスは以前使ったことがあるものの)日常、ディオールの服や装飾品にはほとんど縁のない生活。何かのアクシンデントによって偶然招かれたラッキーな客人の如く、おずおずと中に進み入る。

白亜のエントランスと小さな黒い入口

入口を過ぎると「闇」一色の世界になる。浮かび上がるドレスの数々。掲げられたパネルやトルソーには人だかりができていて、解説をくまなく読み、ドレスの一着一着を順に舐めるように「鑑賞」している。おとなしくそれに続いた。

だが、そんな「教養的態度」は、途中から結構どうでもよくなってくる。「展覧会に行って学ぶ」という姿勢すら、いとも簡単に捨てさせるほどの美が、意識をここではないメルヴェイユ(驚嘆すべき)な場所へ誘う。壁一面に並べられた、ディオールの仮縫い部屋を再現した「白い空間」に入る頃にはすでに感嘆の声しかなくなってきた。

https://www.axismag.jp/posts/2022/12/515514.html

シーチング(白木綿)で仮縫いされたドレスが天井までびっしりと並べられている。いつしか私は、そのトルソーの凹凸(おうとつ)で埋め尽くされた部屋に「人体(body)」——とりわけ内臓の襞(ひだ)を連想していた。ここは世界のあらゆるエッセンスを飲み込んで、いったん色を消し去り、消化し、撹拌し、再生成する場所。そう、ここは「胃袋」だ。私たちは今、Diorという「神の身体」の内部に招かれている?
そんなファンタジーが頭をかすめる。

鏡を効果的に使い、天井まで「白壁」が覆い尽くす

次いで迷い込んだのは、自然をモチーフにしたクチュールドレスが並ぶ花園だ。鳥のさえずりが聞こえ、柔らかな枝が垂れ下がる、森のフローラ(花畑)だ。幼い頃、ディオールの美意識を形成した田舎の花園。ドレスでできた花々の中の一本道をはみ出ないように歩く。日光のもとを歩いた昼の森の奥には「夜の始まり」が待っている。

https://www.axismag.jp/posts/2022/12/515514.html
次なる世界が垣間見え、期待に心弾む。
ディオールの「ミクロコスモス」的空間

部屋が変わるたび、私たちの感性も別の人生へ転生するように生まれ変わる。横ではお洒落にキメた女子達が、しきりに「可愛い」「可愛い」と連呼していた。

しかしなんといっても本展は、順路を行く中で何度か通りすぎる吹きぬけの部分がメインだ。1階から3階までをぶち抜いてそびえ立つイブニングドレスの雛段。これこそ、ディオールの真髄「背骨」の部分である。

私たちは順路を進みながら、これを3度目の当たりにすることになる。まずは3階から見る。次に2階から見て、最後に1階から見上げる。そうして階下に降りていくにつれ「私」はどんどん小さきものになり、それに反比例するかのようにディオールの存在感はますます大きくなるのだ。人格なきものに「実在」の凄みを与える空間演出。圧倒的存在感に畏怖すら感じる。そしてやはり私は「ディオール」という神の体内を巡礼した気分になったのだった。

もう言葉がない…
装飾品のグラデーション

◆◇◆

かつて作家のジャン・コクトーは、ディオールについてこのように賛美している。

“ディオールという名前には、
神(Dieu)と黄金(or)が宿っている”

ジャン・コクトー(1889年-1963年)

1950年、コクトーの代表作『恐るべき子供たち』を映画化した際に衣装デザインを手がけたクリスチャン・ディオール。西洋では「黄金」という言葉には特別の思い入れがある。人々は歴史を懸けて非金属を黄金に変えようと試みてきたのだ。しかし錬金術の目的は、物質的なものだけではないのだ。それはあくまで例えである。錬金術とは、完全なる人格、クリエイティブな技、つまり人間の叡智の象徴なのだ。それを「黄金の生成」に例えているのである。だからこそコクトーは、西洋における最高のものを引き合いに出して、その「仕事」ぶりに賛辞を贈ったのだろう。

さて今回の展覧会で、私が改めて思ったのは(コクトーの小説にもあるが)ディオールの美しさの中に潜む「少女的な毒」「甘美な残酷さ」だ。私が展覧会の演出に「身体性」を感じたのは、その暗喩だったのではないかとも思う。

一面の白いシーチング生地の部屋に「胃袋」を見て、花園のドレスが並ぶ森の一本道に「フローラ(腸)」を感じ、イブニングドレスの雛段に「背骨」を想った。何よりも、ディオールが得意としたAラインのスカートの中に仕込まれた無数のドレープ(ひだ)の誘惑——そのこころは、少女の姿でありながらも、成熟した柔らかな臓腑を持つ、母なる黄金の美神の姿なのだ。

<基本情報>

クリスチャン・ディオール  ~夢のクチュリエ~
東京都現代美術館(2022年12月21日~2023年5月28日)※日時予約制

2017年パリ装飾芸術美術館を皮切りに、ロンドン、ニューヨークで開催された「クリスチャン・ディオール ~夢のクチュリエ~」の日本展。
創始者クリスチャン・ディオールの作品をはじめ、歴代のデザイナー、イヴ・サン=ローラン、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレ、ジョン・ガリアーノ、ラフ・シモンズ、マリア・グラツィア・キウリの作品が多数展示されています。

来場者が絶句するほどのスペクタクルな空間演出は、建築家の重松象平氏によるもの。キュレーションはフロレンス・ミュラー。今回は、日本開催ということで「日本へのオマージュ」的な作品も数多く展示されています。さらに、日本人写真家・高木由利子氏が撮り下ろした写真がアクセント的にちりばめられ、展覧会をシックにまとめ上げています。メゾン立ち上げから75年余り。膨大な数のドレスやバッグ、装飾品、フレグランスから、Diorの誇り高き思想を「全身で」堪能できます。

高木由利子氏の写真


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