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【共感覚のはなし#1】文字に色を感じるわたし

私は現在、あちこち同時進行でいろんなものを書いている。
趣味の一次創作小説を書くかたわら、note記事の下書きを次々ストックしているという状況。
あんな記事そんな記事こんな記事、書きたいものを箇条書きにして、タイトルだけつけて放置していたら、「なかなか投稿されないメモ」がどんどん溜まってしまっていた。

むむむ、これではもったいない。
こんな調子ではいつまで経っても投稿できなさそうなので、ひとまず、細切れでもいいからちょっとずつ書いて、連載形式で上げてみることにした。

……というわけで、今回からちょっとずつ『共感覚』の話をします。
どうぞよろしくお願いします。


共感覚って何?

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、英: synesthesia, 羅: synæsthesia)は、ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。

例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする。複数の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいる。共感覚には多様なタイプがあり、これまでに150種類以上の共感覚が確認されている。(Wikipediaより)

Wikipedia様様。
(情報源がガバなのは大目に見てほしい)

ものすごく簡単に言えば、共感覚とは「文字に色を感じる」「音を聞くと色を感じる」「匂いを嗅ぐと形を感じる」のようなふしぎな感覚のこと。

例えば「あ」という文字が黒いペンで書いてあったとして、共感覚がない人は「『あ』だな」としか思わないが、色字の共感覚がある人は「『あ』だな……赤っぽいな」と、勝手に色を思い浮かべる。
なお、このとき「あ」が赤なのか青なのか緑なのかは人によって違う。色だけでなく、「あは甘い」とか「あは三角だ」のように、他の共感覚を感じる人もいる。らしい。

共感覚は、所持者自身がそもそも「自分は共感覚を持っている」ということに気付いていないことも多い。たとえ気付いていたとしても、人によって見えるもの・感じるものがあまりに多種多様だ。だから定義づけや研究が難しいとかなんとか言われている。

ちなみに私が持っている……というか、現時点で私が自覚している共感覚は、「文字に色を感じる」というやつである。色字(しきじ)ともいうらしい。
共感覚というとまず多くの人が思い浮かべるのがコレであろう。実際、Wikipediaによれば、世界の共感覚者の最多数はこの「文字に色が見える」タイプなんだそうだ。


なんで共感覚の話をするの?

昨年12月、こんなツイートがバズっていた。

私はそれを見てこう思った。
「いや、左はオレンジだし、右はグレーっぽい赤やん? その配色逆にわかりにくくない?」

もう少し噛み砕けば、私にとって「左」という文字はオレンジ色っぽい色味を感じ、「右」という文字には赤っぽい、もしくはグレーっぽい色味を感じる。
これがまさに共感覚というやつである。

私はこの時点では既に共感覚のことを知っていたから、くだんのバズ投稿に関連させていくつか共感覚ツイート(現ポスト)を投げた。
私にとってこの数字は何色だよ、この文字は何色だよ、アルファベットだとこうだよ……というように。

しかしここで、もしかして共感覚は「持っていない人」にとっては理解が難しく、あまり面白くないのではないか、とも思った。そこで念の為フォロワー向けに簡単なアンケートを採ってみた。すると……

満場一致で「おもろい」だった。ありがとうフォロワー。そんなこんなで私はいま共感覚の記事を書いているわけである。


「文字に色を感じる」とは具体的にどういうものなのか

ざっくり言えば、「なんか色がある気がする」という感じ。

……あまりにざっくりしすぎているのでもう少し詳しく書くが、私の場合、『目を閉じてとある文字を思い浮かべたとき、同時に色が思い浮かぶ』というのがいちばん近いかもしれない。

『色字共感覚の個人特異性と共通性』(横澤一彦、2019)によれば、共感覚には大きく2つのタイプがあるという。「紙に書かれた文字の上など外界の空間上に色があるように感じる」のを「投射型」、「自分の頭の中だけに色が広がるように感じられる」のを「連想型」というそうだ。
この場合私は連想型ということになる。

別の色が「見えている」わけではない

私が感じる「共感覚」は、文字を見ると色を感じるというもの。

注意していただきたいのは、私は「色が見える」のではないということ。黒で書かれた「あ」の文字を見て、文字そのものに色がついて見えるタイプの人はおそらく投射型にあたるだろう。
私は、「あ」が黒で書かれていれば黒だし、赤で書かれていれば赤、青なら青と、その通りの色に見える。ただ、目を瞑っているときにふと「あ」という文字のことを考えると、脳内にぼんやり赤色が広がっていくという感じだ。

連想ゲームではなく、同時に呈示される

さきほど「共感覚って何?」の章で私はこのように述べた。

例えば「あ」という文字が黒いペンで書いてあったとして、共感覚がない人は「『あ』だな」としか思わないが、色字の共感覚がある人は「『あ』だな……赤っぽいな」と、勝手に色を思い浮かべる。

この「勝手に」というのがミソで、つまり「あは1番目だから赤いな」とか、「あは『赤』の『あ』だから赤色だな」というふうに連想ゲームをしているわけではないのだ。
「『あ』だな」と「赤だな」がほぼ同時に、自分の意思と関係なく脳内に広がっていく。考える前にもう赤色がそこにいるというイメージだ。

脳内の『あ』に色がついている、というわけでもない

「まわりくどいけど要は、黒で『あ』って書かれてても、頭の中で思い浮かべた『あ』には赤い色がついてるってことでしょ?」

こたえ: 近いけどちょっとちがう

このあたりは個人差の範囲かもしれないので、あくまで私はこうですよという前提で話を進める。
私の共感覚は、「文字」と「色」という全く別のものが、文字を見ただけで同時に思い浮かぶというものであり、「色のついた文字」を思い浮かべているわけではない
いうなればプレーン味のドーナツと板チョコを脳内で同時に並べているのであって、「チョコ味のドーナツ」を想像しているわけではないのだ。

画像で説明してみると

文字での説明に限界を感じてきたので、このあたりで画像を用いて説明してみることとする。

私は連想型なので、目を瞑ったときとか、「あ」のことを考えているときなど、脳内で共感覚が発動する(発動、という言い方はちょっと違うかもしれないが)。
脳内で起こっているため、開始地点はたいがい真っ暗である。つまり黒。

真っ白やカラフルな状態から思考をスタートする人もいるだろうが、私の場合はたいてい真っ暗である

ここで、頭の中でぼんやりと「あ」という文字のことを考えたとする。
詳しい話は後日別の記事で書こうと思うが、私にとって「あ」は「赤」である。なので、「あ」のことを考えている脳内はこんな感じになる。

ぼわ~っと赤色が浮かんでくる

前述のとおり、「赤い『あ』」が出てくるのではなく、「赤」そのものが出てくる。

なお、私の共感覚は記憶や知識など外界の情報に引きずられやすいようだ。例えばこの直前に、青で「あ」と書かれているのを目にしていた場合、「あ」のことを考えようにも、脳内には「青い『あ』」が先に出てきてしまうことがある。
しかし、「『あ』は赤っぽい」という感覚は簡単に塗り替わるものではない。何度「青い『あ』」と対峙しようとも、「青い『あ』」のことを忘れたころに改めて「あ」という文字そのもののことを想像すれば、私は「赤っぽい」と答えるであろう。


まとめ:次回に向けて

共感覚の世界について、私も世界もまだまだ知らないことばかりではあるが、本記事を読んで少しでも「面白い」と思っていただけたなら幸いだ。

また、「共感覚って何?」の章でも述べたように、共感覚は持っている人自身が気付いていないことも多々ある。もしかしたら、あなたの中にもまだ見ぬ共感覚が眠っているのかもしれない。

次回以降では、ひらがな・カタカナ・数字・アルファベットなどに対して私がどんな色を感じているのか具体的に紹介したいと思っている。
また、「記憶の定着に繋がる?」「快・不快をともなう?」など、共感覚について調べるとよく出てくる説や噂に関して、私個人としてどう思うのかも紹介できたらと思う。

あなたの「スキ」が励みになります。間がしばらく空くかもしれませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。
共感覚は、数か月・数年程度で変わるものではありませんから。

というわけで、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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