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コトバの要らない、愛しい刹那の中で

子供の住む世界は、
ピュアな感性をいつも取り戻してくれる。
 
何が大事で、何が不要か。
 
それを言葉に乗せずに伝えてくれることの価値を、
友人と話してて改めて気づいた。
  
不可逆に喋れなくなったりはしなくて(正確に言うと、言葉で考える前には私達は戻れなくて)まだ話す言葉を獲得してない息子の、体当たりの感情のぶつけ方に、ハッとする瞬間が溢れていて。。

*****
 
なんてことはない瞬間だけれど、普段と保育園のお見送り担当が夫から私に変わっただけで、大人にとっては何気ない瞬間でも、子供にとっては感情を揺さぶる瞬間だったことに気づかされた。
 
出掛ける前は、会議始まる夫に「一緒行かないの?」と手を伸ばし、到着して私と別れる前は突然ブワーッとこの世の終わりかのようにギャン泣き。
そして、私が去ったあと、けろっとおもちゃのスマホで機嫌を直し、ママに「もしもし」していたらしい。笑
 
なんと目まぐるしい刹那を必死に生きていることよ。。
 
一瞬一瞬の、嬉しさとか楽しさとか悲しさとか嫌悪感とかに
大人達はこれだけ敏感に生きているだろうか??と問われているかのよう。
 
言葉を獲得してなくとも、これだけ感情というものを表現できる術をもって人間は生まれてくるのにもかかわらず、大人になればなるほど素直に感情を出すことすら少なくなったり、他人の感情はおろか、自分の感情すら見えなくなっていく人間の多さを仕事柄見つめてきたけれど。そうした大人の心を溶かすことも、子供は容易にやってのける素晴らしい存在である。
 
お金掛けて、感情や感性を再獲得しようとする大人達が
どこか滑稽にすら見えてくる。
 
毎日のように、
嬉しそうな顔のおはようを、ありがとう。
ケタケタと弾ける笑顔を、ありがとう。
ギューとチューしに来てくれて、ありがとう。
思い切りのギャン泣き、ありがとう。
仕事強制終了のゴングを、ありがとう。
寝る直前まで布団の周りを駆け回る姿を、ありがとう。
 
いつも、いつも、いつも、
この二度と戻らぬ豊かな時間を有難う、と感謝と愛おしさが溢れる。

綺麗事じゃなくしんどい時があっても一周まわって、ここに辿り着く毎日。

少しずつコトバを獲得していく息子との、
もうすぐ終わっていくコトバ要らずの刹那を味わい尽くして過ごそう。

そんな心持ちでいます。

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