見出し画像

陸上を辞めたつもりのOLは内省しまくった

なんでこんな上手くいかんのや。
結局わかった気になっただけで、再現すらできへん。しかも再現した所でそれは間違ってたんかもしれん。

情けない。もっと頑張らなきゃいけないのに、頑張れる気がしない。
恥ずかしい。ちゃんとしなきゃいけないのに、できない。
どうやって頑張ったら良いんやろう。
なんのためにやってるんやろう。

そんなことを毎日思い、悔しいと思う自分も、人の言葉で安心する自分も好きになれない日々を過ごしていた、6月。
免疫が落ちて病気を繰り返し、
眠る時には歯を食いしばり、起きると無意識に握り締めた手の爪がその平に食い込んで、赤い三日月型の跡が付いている。

頑張れと言われ休めと言われ、
だけど決めるのはあなたですよと言われ、
何を決めても「これ合ってます?合ってます?」と、自分が自分に言ってくる。

あぁ、辞めたい。
辞めて、ふつうの人になりたい。
辞めたらきっと、この悩みから解放されるんじゃないか。

でも辞めようと思うと、色んな人のことを思い出して涙が出てくる。
そのどれも、結果に拘らず心の底から私を後押ししてくれた人達だった。
そして辞めることを、今決めるのはとても悲しいことだなと本心で思った。

休んでみよう

今思えば、休むこと、たったこれだけの事をおおげさに受け取っていた自分のことを不思議に思うが、当時はハードなトレーニングに立ち向かうよりも勇気が必要だった。

体を動かすのは気が向いた時だけにして、「しなくちゃいけない」で練習するのをやめた。
「食べなきゃいけない」「練習しなきゃいけない」から「食べてもいいし食べなくてもいい」「走ってもいいし走らなくてもいい」と、
「どっちでもいいよ」思考に変えて
自分への高すぎた要求を0にすることを意識的にやった。
「大丈夫かな」と怯える自分に「ええねん!」と言い聞かせて遊びまくった。

上司が旅行でも行ってきたらどう、と言ってくれたので友達とセブ島旅行を企画して行ったりもした。
荷造りをしながら、スパイクもジャージも要らないのが何だか可笑しくて、
私は今まで色んな国に行ったけど旅行は初めてだったんだと実感したし、旅行は思い出いっぱいの良いものになったけど、
何よりも「行こうと思えば実現できた」ことが印象的だった。

手紙を書いて夢を見た話

私はよく夢を見る。
そしてそれをよく覚えているし、夢から自分の心情を観察したりもする。
大学を離れてからの3年近く、私はある夢を何度も見ていた。
その夢は、高校大学時代の監督が私に対して、現実じゃあり得ないほど親しく話しかけてきて、私が「やっと話せた」と泣くというものだった。
シチュエーションは違ったが、この夢を繰り返し見たし、この夢の意図することもずっとわかっていた。

自分の心に従うこと・競技者として突き進むことと、あのコミュニティの中で仲良くやり遂げることを両立できなかったからだ。
私はずっと寂しさと不安を引きずっているということを、この夢を見るたびに思い知らされていた。

競技を休んでしばらくの頃、
宮本輝の「錦繍」という書簡式の小説を読み、なんとも手紙が書きたくなって私は両親に手紙を書いていた。
旅行の感想の後に、仕事をしていて気づいたことを書いた。

(以下、完全に覚えてないので要約)

「私は今まで、競技と仕事の境目はとても大きなものだと思ってました。
免許も資格も無いし、受験もアルバイトもした事が無いことが段々コンプレックスになって、
私には競技がなくても価値があるんだろうか・競技でお給料を貰っていいんだろうかとずっと悩んできました。
競技をやめて定時でみんなと一緒に働けば、この悩みから解放されると思ったんです。

でも、お金が発生してるのかしてないかの感覚は、走っていてもパソコンを触っていても同じだった。
競技を辞めたところで、私は今までと同じことで悩んでいたんです。
競技と仕事の境目は思うほど大きくなくて、生きている上での物事は全てグラデーションなのかもしれない、と思いました。

それに食事をするなら、どう美味しく食べるかを工夫するものだけど、そこに食べないという選択肢が入るとおかしくなってしまう。
食べることが決まっているなら、どう美味しく食べるか。
働くなら、どう楽しく働くか。
走ることができるなら、どう楽しく続けるか。
生きていくなら、どう楽しく生きるか。
それは自分が自分に対して、責任を持って工夫をしていくものなんだと思いました。
陸上は、本当にどこまでいっても自己責任のスポーツです。

それから、仕事で何かを学んだり感じたりする度に、競技に還元できないかと考えてる自分にも出会いました。
その時私は、いまもなお仕事をしながら競技をしてるんだな、と思ったのと同時に
『高校に全額免除で入学した時から、私はずっと仕事をしてきたんだ』と思ったんです。
だから、あんな風に悩まなくても良かったんだ、って思えるようになりました。」

みたいな事を手紙に書いたその日の夜に、
私は不思議な夢を見た。

その夢は「全日本インカレの400m決勝の日の朝」という設定で、
私は両親と高校時代の友人と共に、部屋の中で試合の準備をしていた。
だいぶ前に手放した大学のジャージが部屋にあって、私は「これで最後だから」と言ってそのジャージを着て試合に向かった。
ゴールタイムはわからないけど、今までで一番速く400mの前半を走って終わる夢だった。

初秋の少し涼しい風が吹いた時に感じる、少し寂しいけど嬉しいような心地よさ、そんな気持ちになる夢だった。
そのシーンの前には象の背中に乗って遊ぶ場面もあった。
私にとって象のイメージは、神さまだった。

目を覚ました時何となく、もう大学の夢を見ることは無いだろうなと思った。
そして実際今日まで、監督が出てくるその夢を私は見ていない。

社会人の壁

休みなく続けていると、いつのまにか続けること自体にムキになっていることがある。
目標があるから続けているはずだったのに、
いつの間にか続けるために目標を作り出そうとしている。

大学の壁、なんて言うが社会人の壁はこれだと私は思っている。
3年後のインターハイや4年後のインカレといった、期限付きで年齢カテゴリの限られた試合が無くなるからだ。

縦にも横にも広がるマップに、自分で目標というピンを立てなければならない。
そして、そのピンを立てる明確な理由が必要になる。
何となく続けていると、社会人になったとたんに「何故やっているの?」と周りにも自分にも問われ、戸惑いが生じる。
そこで答えを持てないと、今まで通りトレーニングを続けているはずなのに記録が伸びなくなり、自分の現在位置がわからなくなってしまう。

自分の歴史

私は休むことで今までの陸上の歴史にひとつの切れ目を作ることが出来たと思っていて、
友人に手伝ってもらいながらこれまでの10年を振り返り、
印象に残ったことやその時考えたことを書き出す作業をした。
なぜ記録が出なくなったのか、なぜ苦しかったのか?についても考え、
それは自分にとって一番大切なものが変化していたからだったということを発見できた。

高校時代の私にとって一番大切だったのは
「強くなること」だった。
それが一番大切になるだけのバックグラウンドが私にはあった。

とにかく、強くなれれば何でも良かった。
遊びに行けなくても、怖がられても、
恋人が出来なくても、勉強が面白くなくても、クラスに馴染めなくても。

その時の自分にとって、強くなりたい以外の感情はいくらでも後回しに出来たし、それで結果も出してきた。
しかし大学一年の冬、この優先順位が変わる瞬間があった。
自分は人の気持ちを想像できない人間だったと深く反省した事があって、
その時から一番大切なことが
「賢く優しい人になりたい」に変わっていったと思う。
それから、自分が今まで後回しにしてきた感情を無視できなくなったし、無視をしなくなった。

ガラスのイノシシ

私は一度「これだ!」と思うとぶつかり失敗するまで突っ走るクセがある。
そのくせ繊細で傷つきやすいので、兄が私につけた「ガラスのイノシシ」というフレーズはまさにぴったりだと思う。

そんなガラスのイノシシは、
突進してはぶつかってガシャーンと割れるを繰り返してここまでやってきた。

一番大切なことは、つまり本心だ。
本心で願うことが変われば、当然行動が変わる。行動が変わって、それが結果になったり自分の成長に繋がってきた。
そして、これだけ自分の中身が変わり、一番大切なものも変わったはずなのに、
自分を評価する項目だけがいつまでも「記録」のままだったということに気がついた。
だからずっと、成長しているはずの自分を肯定できなかったんだと納得がいった。

欠かさず日誌を書き続け、先生の言うことを全て聞き、遊びに行かずに身体のケアをして、身の回りのことを全て親にまかせて…、
また同じように頑張れるかと言われれば、それはもう無理だった。
そして同じことが出来ないのに同じ記録なんて出せないんじゃないか、
と自分を責めて落ち込むこともあった。

行動に対して評価項目のアップデートが追いついていなかっただけだった、自分のことを評価する項目を増やしてあげようと思った。
そしたら出来るようになった事はやはり沢山あって、私って案外悪くないやん、なんて思えるようになった。

自分の心に従って行動し続ける自分自身を、
あれだけの成功体験のあとに沢山の失敗をできる自分自身を、何だか誇りに思えた。

そして私は今再び「強くなりたい」と思っている。
言いたいこと・変えたいことがあるからだ。
字は同じだけど、高校の時のそれとは全く別物の強さだ。

おわりに

3〜4ヶ月間、10年続けた陸上を休んでみて毎日が新しい発見の連続だった。
一度にまとめると長過ぎるので、今回は休むまでと休んでからについて書いたが、
次回では再開するときに考えたことを書きたいなと思う。

ツイッターはDMを解放していますので、
もし人には見られたくないけど感じたことがある、という方はメッセージもお待ちしています。

それでは。


サポートのお金は、夫の競技活動経費にさせて頂きます。一緒に応援して頂けると嬉しいです!