見出し画像

19歳の時に書いた手紙(原文ママ)

私が大学1年生だった2017年1月ごろ、大学を辞める意思表示を当時の監督にしました。
手紙を読み上げる形で伝えたのですが、今でも持っているその手紙の中にはまさに初心があり、読めば当時の自分に何度でも会うことが出来る、今となっては特別な手紙です。

当時何度も推敲したとはいえ、稚拙な文章です。今の自分が読んだらおいおい!と言いたくなるような表現や、もう少し調べる必要のあることも書いてありますが、
敢えてそのまま載せようと思います。
(補足や訂正が必要と判断したら、後日別の記事として書きます。)

以下、当時の手紙の内容です。

ドイツから帰ってきて、この文を書いています。
多様な人に触れ、海外の考えに触れることで、自分が漠然と抱いていた違和感や、日本陸上界を覆う違和感に、少し説明が付けられるような感覚になりました。
本当に沢山の人が、思い込みの中にいて、やっぱり日本は日本だなぁと思うのです。良い所も、悪い所も、独特です。

私は今、思い込みを外す作業の最中で、そんな中、海外で過ごす時間を頂けたことは、本当に幸運なことだと思っています。合宿を通して、自分がやりたい陸上の形がよりはっきりとイメージできるようになりました。日本との違いの中で感じたことや、これからどうしたいかをここにまとめます。

私はドイツが良くて、日本がダメだと言いたい訳ではありません。選手にも指導者にも、選択肢の広がりがあることに気が付きました。
日本陸上界、あるいは女子選手が低迷しているとされる理由の一つに「選択肢の無さ」があるのではないかと私は考えました。まずは私自身がしたいことをすることが変化の第一歩であり、それを多くの選手に示すことが、誰かの役に立つと思っています。

ベルリンでの練習場所は、スポーツフォーラムと言う複合スポーツ施設の室内練習場を使用しました。
その中に、クラブチームとしてコーチが数人を見ているというグループがいくつもありました。日本では1つのグラウンドを使うのは学校といった1つの単位があることが多いと思います。
そして、これが大きな違いだと感じたのですが、そこには学校の部活動としての団体がありませんでした。日本では学校と陸上競技をセットになっていることが多いです。
つまり、コーチは学校の先生・教育者であり、進学・就職が陸上においての1つの区切りになっています。

一方ドイツでは、学校と陸上は別の団体であり、陸上のコーチは学校の先生ではなく、フリーランスに活動するコーチです。
選手がコーチを選んで契約をして、お金を払い指導を受けます。収入に直結するので指導力がないと活動することができません。

日本の部活動におけるコーチングは、ボランティアであることがほとんどです。指導者選びと学校選びはセットであるといえます。
もしクラブチームで陸上をするという選択肢があれば、陸上のために勉強を諦めたり、勉強のために陸上を諦めるという、日本では当たり前の現象が起きにくいと思いました。

海外の選手は合わないと感じたらあっさりとコーチを変えることもあるそうで、その辺の柔軟性を選手もコーチも持っているようでした。
それは、選手の中にしたい動きや練習のビジョンがあって、それを引き出す指導者と付き合っていくのは、選手の自己責任だからです。
自己責任で競技をする選手に対して、コーチは助言を行い、ディスカッションをします。

ディスカッションは、より良い答えにたどり着くためにお互いに意見を言い合うことです。そこにトップダウンのような上下関係はなく、お互いを信用し尊重した上で意見を言い合うから、喧嘩では無いのだそうです。これもドイツの文化だと、教わりました。

「これを言ったらこう思われるかも」といった不信の念を持って何もしないより、まずは自分の意見を伝えることから色んなことがスタートすると思いました。

また、指導者が選手に対してあれこれとルールを課すのも、不信の一種であると考えました。「ルールがないと、ダメになる」と困ったことになる前に、禁止する傾向にあるのではないでしょうか。
それは教育者としての立場上、仕方のないことでもあると思います。
しかし、納得できない状態が続くと選手は指導者に対し「わかってもらえない」と不信感を抱き、自己責任・管理能力を失っていきます。
その結果、1つの区切りとして卒業したときに、自分を保てなくなる選手がいるのではないでしょうか。
他にも複雑な理由はありますが、いわゆる「卒業し伸び悩む現象」だと思います。

選手や指導者が頑張っていないわけではなく、そういう変な流れの中にはまってしまっている気がしたのです。本気で陸上に取り組むことと、他にやりたいことをすることを同時に考えるフレキシビリティが必要であると私は考えました。

高校のトップクラスとして競技をするために、私はこの学校を選び、信じて練習をし、強くなることができました。
ここに来て良かったと何度も思ったし、陸上の世界をここまで広げてくれたことに対する感謝はずっと変わらないと思います。

ただ、高校や日本といったカテゴリーを外れ、いかに自分が確立できているかで勝負が決まる時、自分の「こうしたい」がないと太刀打ちできないと、世界大会に出て思いました。
自分の中から湧き上がる気持ちで動いた先に、結果やスポーツの喜びが待っていると思いました。

ドイツの言葉でフォジオと言いますが、これは体調が第一と言う考えです。練習と同じか、それ以上にケア・休養が大切と言う認識でした。
トレーニングのノウハウと同等に、フィジカルケア、いかに体を休ませるかや故障したときの「つなぎ」のノウハウがありました。
これは甘えではなく、その方がよりトレーニングの効果を上げ、狙った試合の集中力も上がるからです。

ある程度のレベルまで行くと、全力のレースをした後は回復に1ヵ月以上かかります。それだけトレーニングや試合の負荷は体にとって大きく、休むことに手を抜く選手は、そこまでの選手だと言うことです。
練習しかできない選手を育てるのが目的では無いのではないか、と言うのは、私がぼんやりと抱いていた違和感の1つです。

私自身、故障をして頭でわかっていても、安心して休めない時期が続きました。
練習も、休むことも、食べることも遊ぶことも心から楽しめず、思い切りできない状態です。私が今本当にしたい陸上について、何もできないくらい故障が悪化して、考えるようになりました。

ドイツでのトレーニングは、新鮮で楽しかったです。初めに体調を聞かれ、目的を伝えられ、ディスカッションをしながら丁寧に集中してメニューこなします。
夢中でこなして、終わった後に自分が疲れたことに気づくような毎日でした。
時にはビデオを撮ってフィードバックを行いながら助言を聞き、終わったらすぐに帰る。私はそれがなんだかしっくりきて、次の練習が楽しみでした。

体を動かし、考えに触れるうちに、私の本当にしたいこと、わくわくすることが何なのかが見えてきたのです。コーチとマンツーマン、とまではいかなくても一つ一つのことを丁寧に見てもらいたいし、対等な関係で意見を言い合いながら陸上がしたいと感じました。

そして私のしたいことをするのだとすれば、この大学の陸上部である必要がないと、私は思いました。
週6日4〜5時間の練習に参加し、部則を守り、授業を受け、対抗戦で結果を残す。大学からお金を出してもらい、やらせてもらっている以上、守らなければいけないことがあります。
今までは陸上をやらせてもらっている立場だし、部員1人としての自覚を持たなければいけないと思ってやってきました。
ですが、そうしていろんなことを妥協し、我慢してやらせてもらっている陸上と、自分が今したい陸上が違うことに気が付きました。
仮に部活を自由にやれるのだとしても、元々したい勉強の授業が受けられるわけでもないので、私はこの大学を辞めようと思います。

やりたいことをやっているんだから、そのための我慢は必要だ、と言うのは当たり前だと思っていますが、今はそのやりたいことが既に違うのです。
ここが悪いと言いたいわけではなく、私の興味の湧くことが、見つかったということです。
私はここに来たことを後悔しているわけでも、ここのやり方を変えてやりたいわけではありません。
自分のやりたいことを見つけ、それを全力でやる選択肢があると気づきました。

やりたいことをしている自分を想像すると、とてもわくわくします。
それを日本でもできるのだと、そんな選択肢の広がりがあるのだということを示すことで、少しでも若い選手の助けになりたいと思いました。

具体的な事はこれからだし、私がどんな結果を残せるのかわかりません。
わからないからこそ、挑戦がしたいです。周りに何を言われても、自分を信じようと思います。やらずに後悔したくないです。
まずは、自分の意見を伝える、これが第一歩です。
少しでも、伝われば良いなと思います。

石塚晴子
(2017年1月某日)

サポートのお金は、夫の競技活動経費にさせて頂きます。一緒に応援して頂けると嬉しいです!