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壮大な親子喧嘩

「今度こそ」とか「そろそろ」とか言ってると、自分が延々パチンコの当たらん人とかに思えて来て、ダサいなあと感じる。
早く当たった側の人間になりたいものです。
でもまた今も同じことを考えてて、そこに至るまでにも今年も色々あったんです。という話をさせて下さい。

迷いは走りに現れる
今年の6月にTWOLAPSという中長距離専門のトレーニングチームに加入した。
最初はアメリカにいるコーチとのリモート練習を手伝ってくださいという約束だったけど、この冬からは違う形でスタートを切っている。

加入後すぐに横田さんにした相談がある。
「必死になれないんです」。
練習や試合をしても自分の周りに1枚膜が張ってる感じがして、没頭できない。そして、頑張るのが何だか怖い。

私は自分で言語化は得意な方だと思ってるけど、横田さんはさらに遥かその上をいく正確さで日頃から私の問題を理解してくれてると思う。
「自分が今までやって来たことを、客観的に見れるようになるといい」と言われ、自分の中に引っかかっている何かに向き合おうとして来たのがこの半年間だった。
でもその何かなんてもうわかってた。あの4年間とどう向き合うか決着を付けなきゃいけない時だと。

正しさに何故そんなに執着したのか
そうかー。練習に正解は無いんやな。と、気づいた?というかそれを実感したのはシーズンアウトした後の秋頃になる。
大学を出てからの3年半、その時「正しい」と思えるものは片っ端から試して来たと思う。
「正しい事を教えてくれそうな人」をコーチとしてずっと探して来て、そしてその理由ゆえにコーチの存在に圧倒されて、自分の感覚を押し殺すようなこともあった。

高校3年生から大学1年生の頃にかけて、強化選手や日本代表として学校の外に出る機会が増えた。特にU20世界選手権での準決勝敗退のショックは大きく、そのあたりから「自分が今までやって来たことは正しく無かったのだろうか」という揺らぎが出始めた。
体重増加や怪我も重なり、加えて陸上以外の世界をほとんど知らず、記録以外での自己評価が低かった自分は「もっと正しい練習をしなくては、今まで以上に強くなれない」という焦りをそのまま自分の考えとして主張する様になっていく。

当時そのことで監督と口論したことでその考えは意地に変わり、川の流れをせき止める岩のように自分の中に長く残ることになる。
私はあの4年間を心の何処かに閉じ込め鍵をかけ、目を向けないようにして生きて来た。
「正しい練習をしなきゃ。そしてあの頃よりも強くなって先生に自分のことを認めさせたい。」そんな風に実は相手の居ない土俵に1人で上がり込んで、私は1人ですったもんだして来たのだ。

練習に正解はない
これだ!と思ったことは片っ端から試し、必要とあらばドイツにもアメリカにも埼玉の山奥にも乗り込んだが、この3年半で目標タイムにたどり着くことは出来なかった。
それはおろか日本選手権にすら出られず、そもそも陸上をしたくないと辞めた時期さえある。
今年の秋頃は「陸上競技の基礎って何なんだ?」みたいなことを考えていたが、「それ以上に自分を作った基礎が大事なんじゃないか」と思い始めていた。

寺田明日香選手の指導をしている高野コーチとお話する機会があり、高野コーチが「ぶっちゃけ練習に正解って無いんだよ。」と言った時に、自分も薄々そう思い始めていたので「やっぱ、そうだったのか〜〜〜」となったのだった。

練習に正解はない。大切なのは自分がそれをどれだけ信じてやり続けられるかと、コーチが同じ気持ちでいてくれるかどうか。だとすると、自分があの頃あのグラウンドでひたむきに頑張った時間は間違ってなかったんだと思えるようになった。

そしたら今度は走り幅跳びの中野瞳選手とお話した時に、「監督に今考えてることを伝えに行った方がいい」と背中を押してもらい、今年の11月に先生に謝るために大阪に帰った。

過去と握手した日
正直当日の午前まで周りに泣き言をいうくらい緊張していた。拒否されるかもしれない。そしたら自分はどうなってしまうんだろうと怖かった。
でも、伝えなきゃ。
もし先生に「これからも頑張って」と一言でも言ってもらえたら、死んでないけど成仏できそう。そしてあわよくば写真撮って、あわよくばまた練習に参加できへんかな、と薄ら願望を携えて。

グラウンドに着くと先生に向かってまっすぐ歩き、挨拶をした。その時の先生の顔がすごく優しく見えて、もう大丈夫だと確信した。
しばらく練習を見学してから話しかけ
当時の練習や考え方を否定してしまったことを謝り、
自分をここまで強く育ててくれたことへのお礼を伝えると
先生は「石塚はここにいる子たちの目標やねん」と私に言ってくれた。

そしてちゃっかり写真を撮って、ちゃっかりLINEを交換して帰ってきた。
「これからも頑張ってください。応援しています。」という先生からのLINEには白いポメラニアンのスタンプが添えられていた。
付き添ってくれた友達と「和解した」と叫びながら部室前で抱き合って揉みくちゃになった、映画の1シーンみたいなこの日のことをずっと忘れないと思う。

川は流れ始めた
また、あの4年間のように頑張っても良いんだ。
昔の自分にヒントを貰っても良いんだ。と思うと、別人のように感じていたあのピンクのハチマキをした自分が、今の自分と一体になっていくのを感じた。
横田さんは「過去と握手したんだね」と表現していた。

アスリートにも反抗期とか思春期ってある。イヤイヤ期もグレる時もある。
私も一周回ってこれたんだろうか。かの新宮先輩は「壮大な親子喧嘩」と笑い飛ばしてくれたけど。

全く同じことをする訳では無いけど、あの頃のように真剣に陸上に向き合おう。
ずっと開けなかった日誌を開くと、そこには選手としてめちゃくちゃ強い石塚晴子がいて、毎度「こいつ一体何者なんだ」と思う。
でもこいつに勝たないと世界は見えないし、力を貸してくれ、と思いながら取り入れられるものから取り入れていっている。

歴史を塗り替える選手とは
同じTWOLAPSにいる新谷さんの公開練習の日、沢山のメディアが来た。
自分が走ってもシャッターが鳴らないのが悔しかった。

今度こそ、と口に出すこと自体本当は情けない。
アスリートとして当然の努力ができなかった自分が情けない。
もう「言葉に出す」も「行動で示す」も弱すぎるんだ。

毎年違う所で冬を越しているが、また今年も違った冬季になると思うし、過去と握手しながら横田さんと考えて乗り越えていきたい。
そう考えていたらでかいニキビができたんで、そんな所まで昔に戻らんでええ、と思いながら。

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今年もこんな私に関わって下さった皆様。ありがとうございました。
奇跡的なタイミングで今年も色んなことが起こりました。

来年もどうぞ、よろしくお願い致します。

(写真提供:EKIDEN NEWS 様)


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