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霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

この度10月15日のMDC兵庫大会をもって、13年間の競技生活に区切りをつけました。
ここまで続けてこられたのは、ひとえに皆さまの応援のおかげです。
今後は第二の人生をより良いものと出来るよう、より一層頑張っていきたいと思います。苦しい時もあったけど楽しかったです。
本当にありがとうございました。

引退する人なら書きそうなことを書いてから、これは真実でありながら真意ではないと、改めて思う。

100年前も今も、1秒の長さは変わらない。規則正しく引かれた8本のレーン。平等に与えられた距離。
それらの確かさを苦しく感じるようになってから、どのくらい経ったのだろうか。
かつて登った山を谷底から見上げ、次第に霧がかかって頂上が見えなくなるような競技人生だったと、振り返って思う。

私にとって最たるご褒美であり、刺激であり動機であり、努力の証明になりうるものを長い間得られない中、粘り強く練習を続けるためにはどうすれば良いのか。
そういった意味で、あらゆることを考えて実行に移し、その結果私はやりたかった陸上の形に近い状態を作り上げたと思う。
そうして、私の頭に「必要なものは揃っているのに、戦うことができない」という言葉がふっと降りてきた。

簡単に言うと今の形ではやり切ったと感じたのが、1番の理由だった。アキレス腱を痛めようが、「終わった」と囁かれようが、そんなものは辞める理由にならなかった。

私にはどれだけ場所が変わろうと、速く走るためのことを真っ直ぐに考えてくれる人がそばにいた。
突拍子もないことを言い出しても、やったら良いと背中を押してくれる人が必ず現れた。何度心が折れても、私を信じてくれる人がいた。
本当に、本当に返しきれない程の恩を感じる。

自分の価値を全て結果に委ねていた頃。その価値観が足元から全て崩れたこと。
自身の安全と家族の安心を犠牲にしていいものなどこの世に無い、と思い知るような経験。
良悪含めて書き切れないことだらけだが、言い換えればトラウマとも呼べる学びを携えて、責任と自由を手にした最後の6年間だった。
他の誰にも真似できないと言い切れる13年間だった。

霧がかかっている時、遠くは見えないが近くは良く見える。
久々に合宿で訪れた湯の丸高原の、ひんやりした朝霧の中を歩いていた。近くの草木を眺めながらゆっくり歩けば、さっきまで見えなかった所にいつの間にか来られることを、私は素敵だと思ったのだ。

教室の隅で絵を描いていた小学生が走ることを仕事にするなんて、まさに霧の中を歩んだ結果だろうと思う。
そして今もまた、遠くは全く見えない。だけど近くはよく見える。
転けたら笑い、迷っても進み、目に見えるものを描き続けて。
いつの間にか予想もしなかった何かに、またなっていたいと思う。
調子の良い時より、辛い時に思い出してもらえるような人でいたいと思う。


改めて、今までありがとうございました。
これからも私にできることがあれば、いつでもお声がけ下さい。
沢山挑戦させてくれて、本当にありがとうございました。

2022.10.15
石塚晴子

※タイトルは松尾芭蕉の句です。

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