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もしも一度だけタイムトラベルできたなら


もしも一度だけタイムトラベルできたなら、あなたはどこへ行きたいですか?


ある日の夜、眠りにつく直前、ふとこんなことが頭にぽんと思い浮かんだ。


私だったら、どこへいくだろう。
未来か過去か、どっちも捨てがたいな。


そんな風にぐるぐる考えて少し経った頃、ひとつの答えが脳裏に浮かんだ。


そうだ、私は‪わたしが生まれた瞬間にいってみたいな。

私が生まれたとき、お母さんやお父さんはどんな表情をしていたのだろう。どんな気持ちだったのだろう。

親戚や周りの人たちはどんな風に感じていたんだろう。


絶対にその瞬間しか分からない物語があって、誰しも体験したはずなのに、覚えていない記憶。

私の人生の始まりを主人公が覚えてないなんて、ちょっぴり寂しい。だから取り戻したい。


過去や現状に、戻りたいと思うほどの不満や後悔があるわけではない。

でも、そんなことを思うようになったのは、先日25歳の誕生日を迎えたからだ。

そういえば、長女である私の誕生日は、両親が1人の人間からパパとママになった記念日でもある。

なんとも感慨深い。四半世紀生きてきたってだけで奇跡なのに、両親と共にここまで歩んでこれたことも、まだ続こうとする道を描こうとする元気があることも、たくさんの出会いや感情を経験してきたことも、全て愛おしい。

四半世紀という単語はなんともキリがいい。

もし100年生きるとするならば、人生という物語の4分の1を描き終えたところである。

悲しい話、嬉しい話、溢れるほどの感情がこの世にはあるけれど、どんな思いも苦しみも、息をし続ける限りはどれも私の人生の一部。


だから、今ここを生きられることに感謝していこう。失いたくないものは、ずっと心から抱きしめておこう。

日本という国で生まれ育ったこと。これも何かの縁だと思う。

もし違う国で生まれてたら、私はどんな人生を歩んでいただろうか。



いい思い出、悪い思い出のどちらであれ、誕生日は自分のルーツを振り返るいい機会だ。


私の生まれた瞬間を思い出すことはできないけれど、大人になってようやく、命の誕生への気持ちや体験を身近に知るようになった。


街ゆく人々のみんな、本当はそこに存在しているだけで尊いんだよ。

そう思うと、少しばかりいじわるしてくる人も優しい気持ちで見れるかも。

忙しない毎日に置いてけぼりにされそうな、人生のお話。明日もあさっても、後悔ないように生きたいな。



もしも一度だけタイムトラベルできたなら、あなたはどこへ行きたいですか?


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