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文字もじくんになった日


僕の生まれた地域はお世辞にも文化的水準が高いとは言えず、活字の本を読むなどもってのほか、小学校の同級生たちは上裸で群れだってチャリで駆け巡るような連中で、中学にもなると、そのまま無形重要文化財である暴走族へとランクアップしていくのだった。家族とて似たようなもので、スナック菓子と安酒とパチンコのパッチワークのような暮らしをみんなしておった(昔話語尾)。

僕もそのまますくすく成長すれば、排ガスとトルエンと落書きの立派なモザイクになってもよかったはずだったが、小学生一年の頃の急病でガラリと事情が変わった。腎炎で入院したのだ。

三ヵ月の入院は子供にとって長いもので、当時の病室にはテレビもなく、同室の面々はほぼ老人。マジでマジで暇だった。ひとり、隣のベッドのちぃちゃんだけはほぼ同世代でしかも読書家だった。

読書家といっても子供のことである。ポプラ社子供向けシリーズをたくさん読んでいただけのことだったが、それでも年下の女の子ががっつり文字を咀嚼するのはちょっぴり感心していた。いまでいう芦田愛菜ちゃんを見るような感じだったろうか。

その頃、うちの母親がちぃちゃんはネフローゼという難しい病気なのだと声をひそめて教えてくれた。よくわからないまま僕のちいちゃんへの尊敬の度合いは増した。あんたはたった三ヵ月で退院して元の生活に戻れるのだから幸せだよ。

だよ、っつたって100日近くに及ぶ無為である。よくぞニンテンドーDSもナルトもない白い巨塔に軟禁されていたものだ。暇を持て余した僕の煩悶を察したのかちぃちゃんは僕にポプラ社の名著・マスターピースのいくつかを貸し出してくれた。

何の気なしに読んだそれらは、ふつうに面白かったが、特にさしたる感興を及ぼさず、ただし暇つぶしにはもってこいだったので刺激もないまま漫然と勧められるまま僕は読み続けた。

ところがある日、何かが起きた。よくわからない。なんというか文字や言葉を追うことが苦痛ではなく、むしろ楽しくなった。いや、耽溺したと言ってもいい。当時は分析できなかったが、どこかで脳の神経回路が組み変わったことで活字そのものにフェティッシュな喜びが芽生えたのだろう。

僕はちぃちゃんとポプラ社を競うように読みふけり、見舞客にも書籍を持ってこいとねだるようになった。収監された囚人に書籍を差し入れすると喜ばれるという話はよく聞く。また服役中の読書で哲学的な思索を深め、人生の変えた人たちの話も耳にする。哲学とは言わないが、似たようなことが小学生の頃に起こったようだった。

僕は文字もじくんになって退院した。以来ずっと文字もじくんで、死ぬまできっとそうだろう。ちぃちゃんとは退院以来一度も会っていない。


リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ