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ファイナルガール


【ファイナルガール】

ホラー映画において、純粋な若い女性が殺人鬼やモンスターなどと対峙して最終的に生き残る、そんな構造をめぐる用語らしい。

藤野可織さんの同名短編小説の表題作はまさにこのファイナルガールの役割を(幾度となく)背負ってしまうリサという女性についてのストーリーで他の短編も含めてすごくよい作品だった。

ファイナルガールズという映画もあるが、そちらは未見。ファイナルガールという概念はフェミニズムの切り口からも度々言及されるようだし、歴史的な研究もある。

次に書いてみたい作品の構想として、このファイナルガールというアイデアがある。リアリティ番組と心理劇(サイコドラマ)の枠組みを借りてやるつもりなのだが、いつもより多くの準備が必要で、すんなり書き始められない。

デタラメなバカSFにしたいと思っているけれど、超えるべきハードルがたくさんあって進捗ははかばかしくないのである。スラッシャー映画の殺人鬼たちは下劣な男性社会の象徴で、無垢な少女らがそれを去勢してみせる、といった読み解きは収まりはいいけれど、どこか陳腐だよね。

うーん。こういう時、スラッシャー映画の生き字引みたいな友達がいたらないいなと思うのだが、生憎そんなのはいない。

怪物に少女だけが打ち勝てるという仕組みには、美女と野獣とかノートルダム・ド・パリの影響が聞き取れるような気がする。醜い殺人鬼たちは暴走したカシモドであり、本来なら心を通わせられるはずだったエスメラルダ=少女にだけは敗北を喫することを自らに許しているようにも見える。

ホラーゲーム『クロックタワー』はまさに殺人鬼と化したせむし男が巨大なハサミで襲い掛かってきたのだし、クロックタワーとはせむし男カシモドが鐘つき男として従事していた大聖堂の塔に極めて似ている。

知りたいのは後日談だ。怪物に打ち勝った少女たちは果たして無垢でいられるのか。次なる怪物に(あるいはその母に)なってしまわないのか。




リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ