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矢の聖河とグレートゲーム


先日、ルームメイトだったキム・テフンの話題を上げましたが、別のキムの話をしたいと思います。文学作品は数あれど、俺の臓腑に突き刺さったベスト10に入るであろう名作の話。

といってもあまり言及されることのない作品かも。どちらかと言えば同じ作者の『ジャングル・ブック』の方が遥かに認知度が上でしょう。でも僕はこちらが好きなのです。


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これですね。タイトル通りキムという少年の旅と冒険の物語です。

舞台はインド。英露がアジアの覇権を求めて歴史の表と裏とで争っていた時代です。この巨大国の情報戦(グレートゲーム)のプレイヤーとしてキムは登場します。彼はインドに送り込まれた諜報員でありながら、同時に初心な旅人でもあって、その二重性を子供に担わせるところがキプリングの残酷な発明だと思う。

年老いた僧侶との旅は、スピリチュアルな気付きに満ちていて、西遊記のような楽しさがある。彼らが目指すのは、仏陀の放った矢の落下地点。強弓から放たれた矢は大地に刺さって、そこから河が流れ出たという伝説(キプリングの創作かも)があるからだ。

矢の聖河。二人はこれを求めて、広大なインド亜大陸を彷徨します。

キプリングが残酷であると同時に優しいのは、僧侶の弟子であることとスパイであること、そのどちかをキムに選ばせる二者択一の場面を作り出さなかったことでしょう。自己が複数的であることを包容する視点が、とても心地いいのです。揺れ動きながら拡散する個を受容してくれるその相手もまた複数的で、さんざめく水面の反射光のような戯れに満ちています。

ともすると我々は旅の最果てに単一の自分を求めてしまいがちですが、それは旅人にとってあまりお勧めできる態度ではありません。むしろデッドロックに行き着くだけのバカげた真面目さでしょう。

老いた僧侶はことあるごとに「なんと広大な世界よ!」と驚いてみせます。いつだって新鮮にびっくりしている師に世慣れたキムが呆れてしまうシーンも多いです。キムはなにくれなく老師の面倒を見ますが、それでもやはりキムは自分が師に庇護されていることをわかっているのです。

この本を何度も読み返すうちに僕はキムよりも老師に近い年齢になりつつあります。いや、まだ早いか??

ともかく、この本の読者は、いずれ人生においてキムと老師の両者の役を演じることになるでしょう。どちらかではなく二つとも。

リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ