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【創作論】人称について


小説の技術上の問題で、もっとも難解でわかりにくいものが人称についてではないでしょうか。サッカー素人から見た「オフサイド」とか野球門外漢から見た「犠牲フライ」のようなポジションだと勝手に思っています。

近頃はシューティングゲームなどで「FPS(ファーストパーソンシューティング=一人称視点)」「TPS(サードパーソンシューティング=三人称視点)」といったカテゴリーが定着しているので、そちらを援用するとわかりやすかったりもします。

基本的に語りの主体と視点(カメラ)の問題でありながら、ちょっとだけそこを踏み越えた微妙な論点を含んでいます。熟練者にはわかりきったことでしょうが、ちょっとおさらいしてみます。

一人称

わたし、ぼく、おれ、などなど、一人称代名詞を主語に語られる小説を一人称小説といいます。「FPN(ファーストパーソンノベル?)」って言い方を英語でするかどうかは知りませんが、主人公の視点に固定して、そこからブレることなく物語を体験していくものがこれで、メリットとしては視点がひとりの人物に置かれていることによる没入感でしょうか。

「ブレアウィッチプロジェクト」や「クローバーフィールド」などの映画ではPOV(point of view=視点撮影)という手法が使われていました。これはキャラクターの視点とカメラの視点を一致させることで、特殊な臨場感を演出する工夫です。主人公の動きや動揺につれてカメラもガタガタと動き、なおかつその視点を観客も共有されているので感情移入が強化されます。

一人称には他の人称にはない強い魅力があります。主人公の内面や肉声に最も近づける気がするのです。少なくとも僕はそう感じています。パーソナルな独白や熱量を作中に漲らせたいのなら一人称が最適でしょう。

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