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2024年5月5日

この連休はずっと会いたかった人に会う。私よりも先に約80年この世をサバイブしてきた人。何年ぶりかもわからないぐらい久しぶりの再会。私もその人もすっかり変わっただろうという緊張を胸に、数週間前にした約束の日になった。

今回会う前に、東京で彼女からの贈り物を受け取っていた。5月1日。食べ物かなと思って住所欄に書かれた内容物を見ると「陶器」と書かれていた。なんと。食器かなにかだろうか。とてもうれしい。いつまでも残るものをもらうというのはこんなにうれしいことだったっけ。袋をあけると、私の大好きなミモザの花がプリントされた包み紙が見える。私を見透かしているかようなセンスに、彼女との波長の良さを再確認する。

包み紙の上には手紙がついていた。封筒には「The LORD is my protector」というシールが貼られている。神とともに生きている彼女を感じながら、シールをそっとはがす。手紙を開くと文字がたっぷり並んでいる。読み進めるうちに、思わず涙がわっと溢れる。新しい生活へのお祝いに彼女が普段から愛用している湯呑と同じものを贈ってくれたこと、「1人なのに夫婦湯呑なんて変かしら。でも2つあると何かと便利よね」というお茶目な言葉、そして、最近文字がうまくかけないの、乱筆ごめんなさいねと添えられた追伸。いつも変わらない彼女のあたたかな気持ちと、あっという間に流れて取り返しのつかなくなった時間への後悔が押し寄せる。

夫婦湯呑なるものが私の生活にもたらされるなんて、全く想像していなかった。立派な木箱にでかでかと書かれた「夫婦湯呑」という墨の達筆にたじろぐ。これは到底一人暮らしの部屋にあるものではないというミスマッチ感が可笑しくて笑ってしまった。赤膚焼の湯呑は両手にころんと収まる柔和な形と手触り。赤みがかったまろやかな土色に、控えめに絵付けされた素朴な奈良絵がとてもかわいらしい。大好きな人にもらったものはこんなにもうれしいのだと、私が選ぶことのないものをふともたらしてくれる大切な人の存在に胸がいっぱいになる。

紙の上で不安げに揺れる字。普段はSNSでやり取りをしているから全くわからなかった。彼女が震える手で、私を想いながら一文字一文字を丁寧に綴ってくれた情景が瞼の裏に浮かぶ。それでも、力強いその筆圧に彼女が遠くで元気に生きていることを感じる。この先彼女が書いた字を見ることは何回あるだろうか。そんなことを無意識に考えてしまっている自分が怖い。だから、今日届いた一通が痛いほどにかけがえない。再びシールを貼って、大切な手紙たちがつまった箱にしまう。あたたかい気持ちが足りなくなったときは、彼女の手紙を取り出してその字を眺めたい。

家族、友人、恋人、エトセトラ…そのどれにも当てはまらないけれど、互いを想い合い慈しむ関係は存在する。約15年前、彼女は私の人生に新たな関係のあり方を運んできた。名付けが追い付かない関係の中にも豊かな愛がある。世界のいたるところで、ひっそりとそういう関係が生まれているのかもしれない。彼女との出会いは、そんな偶然を想像する力を私に与えてくれたのだった。

「いつか会えるわよね」という祈りがついにここに叶う。じっくり思い返すと6年もかかってしまった。

子供の落書きのような奈良絵がなんとも心をくすぐる。

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