見出し画像

2024年4月20日

2か月前に友人と会う約束をした日。会って何か特別なことをするわけではない。ただ会うために数か月後を見据えた約束をする。それは、数か月後も私たちの関係は変わっていないだろうという信頼の上に成り立つ約束である。
 
他者との関係は変わりゆく。誰かと出会うたびに新しくときめき、想像もしなかった展開に生きた心地がした。誰かと離れていくたびに傷ついたり、諦めたり、寂しくなったりした。20代以降の人間関係は、必ずふとしたタイミングで私に揺らぎを与えてきた。それは他者との関係そのものを再考する換気でもあった。自分の変化に合わせて関係のあり方も少しずつチューニングされていく。過去の私はきっと受け止められなかった関係が、今はそれとなく結ばれている。
 
そんななか、その友人とは15年以上会い続けている。よくよく考えると、10代のひと時をともにしたということを除いては重なる事柄がほとんどない。共通の趣味もなければ、職種も専門性も全く違う。それでも会い続けてきたのは、月1ほどだがお互いの他愛もない話題を飽きもせず提供し合っているのと、今の関心や出来事に対して、なぜ?と逐一突っ込んで聞いてしまうマインドが似ているからだろう。共有した過去を何度も差し出すのではなく、今をともに更新していく感覚に安心を覚える。
 
そんな彼女との約束の日。もともとは私の新居で手料理を振る舞う予定だったが、突然の思いつきで数日前に海に行くことを提案した。彼女と私は2時間ぐらい離れたところに住んでいて、私の行きたい海は彼女の住む場所の比較的近くにあった。
 
約束の時間よりもずいぶん早い時間に到着する。友人が来るまで海で石を拾う。海まで歩いて20分。いい波が来る海なのだろうか。自転車にサーフボードを引っさげたサーファーたちが私をどんどん追い越していく。黒いボディスーツを着た人たちの背中を遠目に追いかける一本道。海の匂いがどんどん近づいてくる。
 
石を拾うというのはとても時間がかかる。数えきれない数。ひとつとして同じものはない。どれが目に入ってくるかもわからない。どんなものを欲しているのかもわからない。自分の石を見つけることは途方もない作業である。全く見つからない時間が続く。しばらく見た後に結局何も拾わないこともある。
 
石を拾っていると海は見えない。波打つ音と海鳥の鳴き声だけが耳に届く。石を拾っているとき、今海にいるということは忘れ去られる。砂と石だけを見続ける。時折目を休ませるために顔を上げる。まぶしい。海が目に入る。まっすぐに視線を向けた先に水平線が広がる。波打ち際も眺める。適当なリズムでそれぞれに視線を移す。それに飽きたらもう一度地上に顔を向ける。そんなことを何度も繰り返す。
 
この日の海は、石がとても豊富な海だった。形も、大きさも、色も、質感も多種多様で見ていてとても楽しい。その上、どれも美しい石ばかりで、あれもこれもとなるところをぐっとおさえて厳選する楽しさも溢れる。これまで手にしたことのないような石をいくつか選び、それらを並べてさらに厳選する。そうして選ばれた4つの石を見つめて、どうして自分はこれらを選んだのかを考える。考えていると思いもよらなかった物語が生まれる。意味づけによって、それぞれの石と私の間に関係が生まれる時間。その一連の行為が愛しくて、たまに石を拾いに出かける。
 
そうこうしていると友人が到着する時間になっている。このあと友人とも石拾いをしようと考えながら、再び20分歩いて来た道を戻る。

褐色の石が特に美しい。ごろごろした石たちの先にはサーファーの黒い背中が見える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?