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なぜ教育にアートが必要なのか?

まずは、noteを始めたご挨拶を。
はーい、note始めました。


それでは、本題にいきたいと思います。


保育士になる前に、約1年間の世界一周をしている中で、いくつか自分の中で宿題を見つけました。その一つがアートについてです。


主にヨーロッパを巡っていると、なんだかアートが日本にいるよりも日常生活の身近にある気がしたんです。

街を歩いていても、大道芸人が当たり前のようにいて、当たり前のように投げ銭が入っていきます。

保育園でもそうです。訪れた園のほとんどに、アート活動専用のアトリエがあるのですが、その画材や素材の多さには驚きました。海外に行く前に日本の保育園もいくつか回りましたが、その量は明らかにヨーロッパの方が潤沢でした。

日本でいうと、教育においては図工や美術という科目がありますが、5教科外のサブ教科という印象が否めません。僕も高校時代はなんとなく授業に出席してたらそれなりの成績を取れる教科くらいにしか思っていませんでした。

なので、ヨーロッパの保育園のアート活動への力の入れ方は衝撃でした。

もちろん、日本の幼児教育においてもアートの活動は、表現領域の中で一般的に行われていると思います。しかし、美術をサブ教科としか思わず、アートとは縁の遠かった僕はヨーロッパに行って、「アートの何がそんなに大切なんだ?」と思ったわけです。

もちろん、子どもの心理状態や発達段階が見えたり、創造力を育んだり、というアートをやる意義はいくつか思いつくのですが、なんだか僕にとっては抽象的かつ、大人目線の意義でモヤモヤしました。

アートに親しみ、製作活動の経験を積み重ねることによって、その子を将来どのように助けるのかが分からないまま世界一周の旅を終えました。

その宿題を持ったまま、保育士として子どもと関わっていました。

しかし、ある時「最近地上波でも割とネガティブな表現の音楽や作品が多くなってきたな。」と感じたのです。

死とか孤独とか、割と重いテーマの音楽を聞いてると、「これって作品じゃなくて、ただ個人が呟いていたらやばいな。」と思った時、「もしかして、これがアートの役割か?」と思ったのです。


つまり、アートの役割は、「感情を作品に昇華できること。」


なんだか、当たり前な気がしますが、ネガティブな感情に支配されやすくなっている今の世の中で、表現の術を知っていることによって、苦しい時、辛い時にその人の助けるのではないかと思ったのです。


感情を作品に昇華できる術を知り、それを受け入れてくれる人がどこかにいることで、救われることもあるかもしれない。


現代において、僕はここにアートの意義と生きる力の結びつきを感じます。


そして、それを保育で考えると、子どもの発達に沿った適切なタイミングで適切な素材に触れ、表現を楽しみ、それを信頼する人に受け入れてもらう体験の積み重ねに、将来その子を救う価値があるのだと感じます。

SNSの普及によって、表現媒体の敷居が下がり、作品の共有がより一般的になるでしょう。というより大分前からなってますね。

教育とは、子どもたちが世の中を豊かに生きていく力を身につけるためにあるべきもの。アートは今後、まさに子ども達が現代の世の中を生きていくために、その人を救うために必要な力の1つになると思います。

そう思うと、今目の前に子ども達にどんな体験が必要なのでしょうね。


おしまい。







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