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DAY7. いのちの薫り


 蝉の声が、半月前とはだいぶ風情が変わった気がする。

 あれだけヂリヂリと甲高く耳に刺さるようだったのが、ジワリジワリとどこか湿気を帯びて、およそ立秋を迎えたとは思えない汗ばむ熱帯夜を覆いつくすように漂っていた。

 夜、都心からだいぶ離れたこのあたりでは人気のなくなる頃合いがあり、私はときどきこの川沿いをそぞろ歩く。今の家へ越してきてからまだ一年も経っていないが、近くにこの川があったのは大きな決め手だった。

 久しく、プライベートな遠出をしていない。2019年の年末に帰ったきり、実家にも顔を出していない。一年も自粛をすればなんとかなるだろうと思っていたが、もう一年と8カ月が過ぎてしまっている。

 この川沿いをただ歩くのが、今や私にとって唯一のレジャーみたいなものだ。

 今日は、いつものようにすれ違うランニング勢が見当たらない。いつもより少し遅めだからか、犬を連れ歩く人の姿も見えない。遠くのほうで電車や車の走る音がする以外は、立ち並ぶ木々や草木の間をざわり抜けていく風と湿った蝉の声、無意識下に流れていく川の水音ばかりの静かな夜だった。

 ふと思いつき、そっとマスクを下げてみる。鼻を出し、思い切り息を吸いこんだ。その刹那。

 くらりとするほどの気配が、胸いっぱいになだれ込む。夏の日を浴びて青々と茂った植物たちはそれぞれに個性を発揮していて、その奥には少し湿り気を残した土の存在。この川に身を寄せる水鳥や川魚たちの見えない姿も。

 この道は、こんなにも圧倒的な野生の薫りに包まれていたのかと、しばし放心する。そういえばここへ越してきてから、まともにマスクをはずして外出をしたことがなかった。

 これまで「屋外ではマスクをする必要はない」と言われても、なんとなくエチケットじみた薄手の布マスクを着けていたし、今やデルタ株で屋外も危なっかしくなってきて、常に不織布マスクをして出歩いている。

 春の到来を歓び、次第に夏へと移ろってきたこの川沿いを、とっくり堪能してきたつもりが。実はその世界もまた大きく欠落していたのかと、なんともやるせない気持ちになるのだった。 


「勝ち組の女に見えた」

 男は、そう供述したらしい。

「6年ほど前から、しあわせそうな女を見ると殺したくなった」

 誰も知りようのない、彼の中にある彼だけの世界のルールで選別されてしまったのは、その日その場所にただ居合わせただけの20歳の女子大生だった。

 男は刃渡り20センチほどの牛刀で何度も彼女を刺し、逃げようとするその背中にもまた刃を突き立てたという。明確な殺意。彼女は重症で、まわりにいた乗客も9人が怪我をしたとテレビが報じている。

 男が事件を起こしたのは、私が普段、当たり前のように使っていた小田急線の車内だった。その後に逃走したというルートも、出くわしておかしくない距離を生活圏にしている。

 テレビ画面に映し出された男の顔には、なんら特別な狂気が感じられず、そのあたりをぶらついていそうなごくありふれた風貌で、ますますうすら寒い心地がするのだった。

「マタニティーマークをつけるのが怖い」

「お腹が大きいとき、すれ違いにヒジ鉄をくらったことがある」

 SNSにはそんなつぶやきもあって、そうか、しあわせそうな女というのは妊婦も象徴的なのだろうかと思う。 

 たとえこんな40歳を過ぎた女でも、夫とふたりストレスフルに働いた金のほとんどが不妊治療に吸い込まれてきた日々だったとしても、苦節7年の不妊治療を経てようやくの妊娠だったとしても。

 ひとたび妊婦というものになれば、「しあわせ」とひとくくりにされるのかもしれなかった。

 でも、誰かのしあわせは、誰にもジャッジできるものではないだろう。

 その逆もまた然り。元ナンパ師で、女にこけ下ろされた過去を持つという男の、人を殺したくなるほどの「不幸」は、私が知る由もない。 



 8月8日、末広がり。「縁起がいいじゃん」なんて言い合いながら、いつものように夫の運転でクリニックへ向かった。

 今夜は東京オリンピックの閉会式だという。

 サッカーは、知らない間に3位決定戦でメキシコに敗れてしまったらしい。あれだけ熱を入れて観ていたのに、ちょっと仕事が入るとまったく忘れて見逃してしまうのだから、我ながら薄情なものだ。

 オリンピック一色だったテレビの裏で、医療はどんどんひっ迫している。もう、救急車を呼んでもなかなか入院はできないらしい。

 それでも車で街へ出れば、人出はそれなりにあった。皆一様にマスクをしているぐらいで、コロナ前との差をあまり感じない。

 こんなマスク時代にもかかわらず、夫は昔からの妙な才覚を今でも発揮する。

 この間も車を走らせながら、「あ、那須川天心だ!」と、舗道を歩く格闘家の姿を捉えていた。彼の場合は髪の色でわかったのかもしれないけれど、夫いわく、著名人は「見られなくないオーラ」が出ていて気づくのだそうだ。

 山田孝之も竹中直人も、ジャニーズの山Pも瑛太の弟も、雛形あきことその夫も……隣にいるのに、私はいつも夫に言われるまで気づかなかった。

「今日は閉会式だし、誰か歩いてないかねぇ?」

 6日ぶりの都心にきょろきょろと街中を眺めてみる。

「いや、関係者がこんなとこいないでしょうよ」 

 そんなどうでもいい話をしながら、刻々とまた診断の時間が近づいているのだった。

 今日は、ようやく胎嚢と認められた小さすぎる赤ちゃんの袋が、ちゃんと成長できているかを確認する日だった。

 医師の口ぶりでは、あまり楽観視はできなそうだったけれど、この6日間、下腹がちくりとするたびに、「うん、生きてる」と感じてきた。これはきっと、成長してくれているシルシなのだろうと、勝手に期待を込めて。

 母体のストレスが胎児にも悪い影響を与えそうなのと同じで。自分だけでも信じていなければ、同じ体内にいるこの子にも、それはきっと伝わってしまうような気がしたから。

 血液検査をした後、いつもと違うフロアに呼ばれているのに気づいて、あたふたとする。受付の看護士に尋ねると、今日は混んでいてこのフロアなのだということだった。

 見ると、これから新しく治療を始めるらしい夫婦の姿が今日はことさら多い。皆、このコロナ禍にも待ったなしの状況なのだ。


 子宮のなかで、はじめて何かが動くのを見た。だいぶ拡大しなければならないほど、本当に小さな、ふわりとした不確かなものが、そこにいた。

 ただ、確かに存在して、そこで脈打っている。

「うん、ちゃんと動いていますね」

 診察台のカーテンの向こうで医師が言った。恐らく、赤ちゃんの心拍が確認できた、というやつだろう。医師はそれだけ言って、あとは診察室でお話しますと内診を打ち切った。

 診察室では、また新しい男性医師と顔をつきあわせることになった。年齢的には中堅といったところの、優し気な面差し。口調もやわらかく、改めて心拍の確認ができたことを告げられて、ようやくほっと心が落ち着いてきた。

 気になっていた「位置がおかしい」という点について聞いてみると、あっけなく「それはもう大丈夫です」という。

「でも、まだやっぱり小さいですね。もう少し様子をみる必要があるでしょう」

 そういって、さらにこう付け加えた。

「今日の血液検査をみると、薬ももう少し続けたほうがいいですね」

 薬、というのは、移植をした日から毎日、朝7時と夜の7時に膣の奥に指で挿入しているものだ。黄体ホルモンを補充するものらしい。

 このクリニックで治療を始めてから、生まれて初めて座薬も入れたし、この膣錠なるものも初めての体験だった。

 最初は「自分で入れるの!?」と密かに戦慄していたが、1か月近く入れ続けると、もうだいぶ慣れてきている。

 ただ、朝7時に起きるのはなかなか辛い。朝起きると胸が張り、頭痛がする。日に日に寝起きが悪くなっているのは、つわりというやつなのかもしれない。ここのところ食欲も落ちて、うどんぼかり食べていた。

 そしてこの薬は10日ほど前、使うのをやめるかどうか、医師に聞かれたものでもあった。

「もう薬はあまり意味をなしていないから、辞めても辞めなくても、ダメになるときはダメになってしまうと思います。でも辞めたら、ダメになってしまったときに後悔してしまうかもしれない。精神的なお守りみたいなものですが、続けますか?」

 そう言われて、「少しでも可能性があるのなら」と、続けたものなのだった。

「一番考えられるストーリーとしては、このまま流産にいたることでしょう」と語っていた、あの医師だ。「位置がおかしい」「形もいびつだ」と言われた日。

 もしあのとき、この子の可能性を信じられなかったら。そこで薬をやめにしていたら。この命は心拍を奏でるまでには至らなかったかもしれない。

 そう思うと、そら恐ろしい気がした。

「あなたの判断は正しい!」

 あの日、星占いでたまたまそんなことが書いてあって、「そうだよな」とひとり納得して薬を続けていたことを思い出す。

 まだまだ序盤。まだまだ、信じていたいと思う。

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