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DAY21.  沼の中の泳ぎかた


 夫がつくるわが家オリジナルの「ラピュタパン」は、私が好きな休日の朝ごはんベスト1、2位を争う。

 単に、食パンに目玉焼きがのっているだけじゃない。バターはもちろん、ケチャップとマヨネーズを夫の加減で絶妙に合わせてつくるオーロラソースをたっぷりと。そこにフライパンで下面だけカリッと焼いた目玉焼きがのって、トーストでほどよく半熟に仕上げられたもの。

 熱々のところへかじりつくと、オーロラソースと一緒にとろとろの黄身も絡まって、1枚の食パンと1つの卵、バターとマヨネーズとケチャップとが、ものすごいコストパフォーマンスでごちそうに生まれ変わっている。

 ただ、妊娠中はサルモネラ菌の関係で半生の卵は避けたほうがいいらしい。夫はその日、初めてしっかりと火を通して、固焼きにした目玉焼きをラピュタパンにした。

「あ、これはこれでうまいじゃん!」

「うん。おいしい~」

 心のはしっこに、拭いきれない不安を抱えながら。そうしてふたりで新しいラピュタパンを褒め称えたのだった。

 心拍を確認してからの1週間。私は、永遠に「私が好きなもの」を食べ続けた。栄養とかなんとかよりも前に、私にとって口福であるものを。

 おうちパンケーキには、キウイやバナナと一緒にバターもメープルシロップも惜しみなくかけて。夫が山芋やら桜エビやら入れて、豚肉の焼き方からこだわってつくるお好み焼きも、一度リクエストして夕食にした。

「これ、わが家の味だよね」

「確かに。昔、おかあが仕事のときに親父がよくつくってくれたカレーとかも、こんな感じだったかも」

「ふふ。こういうの凝るとことか、やっぱりお義父さんに似てるよね」

 夫は「似てないし」と言いながら、満更でもなさそうだった。

 少し暑かった日には、今年初めての冷やし中華をつくってランチに。引っ越してきてからずっと贔屓にしている近所の蕎麦屋から出前をとった日は、おかめ蕎麦に揚げ餅ものせてもらって。マクドナルドで復活販売していた懐かしいチキンタツタも食べたし、夫が三重へ出張に行って買ってきた赤福も、しみじみ味わった。

 夫が仕事でいない日の昼ごはんも、普段みたいにいい加減にはしなかった。

 私のこの口福感が体の中を巡り巡って、私の子宮で密やかに自分の時を刻み始めたあの子にも、届くような気がしたから。脳内ホルモンなのか血液成分なのか、きっとなにがしかの形で。

 次の検診では心拍が止まっているかもしれない――担当医にそう示唆されてからの1週間。ふとすると不安に包み込まれそうになるのをふり払って、無理やりにでも口角を上げた。しあわせホルモンが私の体に満ち満ちて、あの子に届くよう願い続けて。

  *

 仏滅だった。「その日なら車で送っていけそうだ」と夫に言われて決めた検診日。予約をとるときに気がついて、少し手が止まったけれど。そんなことで結果は変わらないだろうと、そのまま予約をした。

 実は前日から、出血の前兆とおぼしき茶色いおりものが出ていた。それでもほんの直前まで、私は希望を持っていたと思う。これは、子宮がきちんと動いている証なのかもしれない。もしかしたら。もしかすると。

 でも、内診室で映し出された私の子宮の中で、あの子はもうぴくりとも動いてはいなかった。どこまでも静寂な画面を呆然と眺めながら、医師の言葉を聞く。

「心拍、ありませんね。赤ちゃんも先週とほとんど大きさが変わっていないので……」

 淡々と告げられた2度目の流産。

 今回は、判定日から何かと縁起も良くて、ちゃんと胎嚢も見えて。だから、なんやかんやいける気がした。それなのに。

 ひとつの安心材料だと言われる心拍を確認した後、8週目に稽留流産を告げられるという、前回とまったく同じ道をたどることになってしまったのだ。結局のところ。

 帰りの車では、また音もなく涙がこぼれた。夫は何も言わずに手を握ってくれて、まるでデジャブのようだった。2度目の流産。ただしこれだけは、けっして慣れることがない。

 その日、そのまま2日後に流産手術の予約をした。今回は何か少しでも手がかりを得るため胎盤の絨毛組織を検査に出そうと、自然に排出するのは待たないことを即決した。まるで他人事のように。そこに感情を差し挟む余地もなく。

 帰り道、私の涙を見て運転席の夫が言った。

「手術、無理に受けなくてもいいんだよ?」

 ますます涙がこぼれ出てきて、何も言えなくなる。優しい言葉をありがとう。でも、別に手術が嫌だとか怖いとかじゃなくて。かといって、次の採卵に向けて前向きになれているわけでもなく。私はただ、目の前の取捨選択をしただけだった。

 自分でも、何をどうしたいのかわからない。流産手術は、全身麻酔ではなく局所麻酔、吸引ではなく掻破手術になった。どちらも逆がより安心感のある選択なのだろうけれど、それらを選ぶために他のクリニックを予約する気力もなかった。手術に恐怖を感じる間もなく、ただただすべてを受け入れた。

 そして手術当日の朝。クリニックへ着いてトイレへ行くと、おりものシートが真っ赤に染まっていたのだった。なす術がないまま、術前の内診ですべて自然排出。そこでもう、子宮に何もなくなってしまったのをモニター越しに目撃した。あまりのスピード感に、気持ちが追いついていかない。

 自然排出をしてしまって、絨毛検査ができるかどうかわからない。私はそれを苦々しく思ったのだけれど。そうして結局は手術をしないで済んだことに、夫はどこかほっとしているようでもあった。

 そういえば、不妊治療で飲んでいる薬で卵巣癌になりやすくなるかもしれないなどという説を聞いたときにも、夫は初めて治療に否定的なことを言った。

「そんなんなら、もう無理に治療しなくてもいいよ」

 一番子どもが欲しいのは夫のくせに。でも、わかる。自分より、ツレが痛めつけられるほうがずっと辛いんだろう。最近ふたりでハマってる、ヤンキードラマじゃないけれど。

 私も辛い。何より、あなたの望みが叶わないことが。

  *

 たぶん、夫には意味がわからなかっただろうと思う。

「ちょっと出かけてくる」

「どこに? 仕事?」

「ふふふ」

「なに、もったいぶって」

「なんと、あんなに手に入らないと言われるPS5が当たったんだよ!」

「えー、すごいじゃん。良かったね〜」

 そんな会話をした。ゲームをしない、プレイステーションなぞにあまり興味のない私は、「そっかぁ、そこで運使っちゃったかぁ……」などと、心の中でぼんやり思いながら。

 もちろん、そんなもので妊活の運命が変わるわけもなく。せめて夫が喜ぶことが1つでもあって、本当に良かった。

 なんてことを、ひとり考えていたら。 

「買ってきちゃった」

 夫は真新しいゲーム機の箱と一緒に、ニコニコと行きつけのケーキ屋さんの包み箱を持って帰ったのだった。

 単純にゲーム機購入の罪滅ぼしか、私を元気づけようとでも思ったのか。そういえば、前の流産宣告のあとも、ケーキを買って帰った気がする。

「開けてみてよ」

 うれしそうに私の顔をのぞく夫。言われるがまま開けてみると、カスタードクリームがパンパンに詰まったいつものシュークリームと、苺に紅い花びらがのった華やかな生クリームのシュークリームとが、律儀に2つずつ入っていた。

「シュークリームだ。こっちは新作?」

「そうみたい。おいしそうでしょ?」

「うん」

 しかしそこでどうしようもなく、ぽろぽろと涙が出てきてしまった。

「え、どうしたの」

 驚く夫の前で、抗いようもなく。ぽろぽろ、ぽろぽろ。

「なんでー?」

 夫は笑いながら私の名前をちゃんづけで呼び、子どもをあやすように優しく抱き寄せて、よしよしと頭をなでた。私はひとしきり涙を落とし、無言のままティッシュを何枚もとって鼻をかむ。チーン。

 本当に、夫には意味が解らなかったと思うけれど。私はその日、目も乾かないまま、鼻もつまってほとんど味もわからないような状態で、大好きなシュークリームをむしゃむしゃと食べたのだった。

 もう、私がいくらおいしいものを食べたって、1ミリもあの子に届くことはないーー。

 その残酷さに吐き気を覚える。実際、流産が確定してから初めて胃液が喉元まで上がってきた。あまりにつわりが感じられなくて不安だった妊娠期間には、一度もなかったことだ。皮肉なことに。

   *

 それから、何度か泣いた。ひとり自室で。犬の散歩をしながら。お風呂場で。電気を消した後、夫が隣に寝ているベッドの中で。いつでもふと思い起こせば、驚くほど簡単に、はらはらと涙が出る。今なら女優にでもなれそうだ。

 夫の前では泣かない。かといって、夫の悲しみを受ける余裕も私にはなかった。思い切り悲しむことも、思い切り悲しませてあげることもできないまま、ずるずると間抜けな日常へと戻っていく。

 そうして何事もなかったかのように過ごすしか、私に術はなかった。

「どうしようか、これから」

 心の中にくすぶっていた気持ちをとうとう夫にぶつけたのは、自然排出から12日目の検診のあとだった。内診だけで、何の進展も見通しもなく、経過観察に終わった日。またここから回復を待つ無為な時間を過ごさなければならない、その現実を突きつけられた日の夜に。

「どうしようって、何を?」

 そのとき私の中で巡り巡っていたのは、「もう不妊治療はあきらめようか」という話だった。「まだがんばれる? 本当はもう、疲れちゃったんじゃない?」「これから回復を待って授かれたとして、私たちはいったい何歳になるだろう」とかいうようなことを。

 でも、口からついて出たのは真逆の話だった。

「このまま今のクリニックで治療を続けるか、セカンドオピニオン、転院も見越してほかのクリニックにも聞いてみるか」

 これまでもなんとなく話してきた思いつきを、改めて言ってみたりする。

「でも、最後の1回でクリニックを変えたら、それでダメでもあきらめがつきにくいかもね……」

 前にも夫と話したことを、また蒸し返した。うじうじと。私は夫になんと言ってもらいたいのか、どうしたいのか、自分でもわからなかった。

「そうだねー……」

 そして夫は、思いがけないことを言った。

「じゃあさ。今のクリニックはもうこれで最後、ということにしたらいいんじゃない?」

「え? 今のクリニックは?」

「うん」

「どういうこと?」

「それでダメだったらさ。そこでまた考えようよ」

「……」

「ダメだったらそこで考えてみて、『また違うクリニックでやってみたい』って思えたらさ。そうすればいいんじゃない?」

「……そっか」

「うん」

「ひとまず、次で今のクリニックが最後なだけだって思えば、気も楽か……」

「そうだよ」

 そんな調子のいいことを言いながら、気づくと私はまた情けなく泣いていた。

「えー、なんで泣くのぉー」

 わからん。自分でも。何の涙なんだろう。夫の温かい腕にぎゅうっと包まれて、自分のためだけのオキシトシンを分泌させながら、考える。

 夫はやっぱり、子どもが欲しいんだなぁ。ごめんなぁ。それは、私も同じで。でも、いつかはどこかで諦めなくちゃいけなくて。その決断が遅いほど、後悔も大きくなりそうで。やっと区切りをつけた、次がラストだというふたりの決めごと。それを覆したら、また諦めるまでの計画表、作り直しじゃん……?

 頭の中ではいろいろと言葉が飛び交うけれど、相変わらず結論は出なかった。ひとまず、次は現クリニックでラスト1回の移植まではする。それだけは決まった。

 治療費のことは度外視で考える。お金はなんとかするとして、自分たちがどうしたいかだけで決めよう。それだけは、前にふたりで決めていた。

 でも、それ以外の選択肢があまりに多すぎるのだ、とにかく。すでに私は完全に、選択疲れをしていた。もう嫌だ。でも、投げ出せない。タイムリミットはどんどん迫る。沼。限りなく沼ーー。

 後悔しないために、とはよく言うけれど。いくらやったって、結果が出なければきっと何かしらの遺恨は残る。「あのときあの治療をしていたら」の選択肢が、いくらでもある地獄。

 この地獄の中で唯一、何か得るものがあったとすれば。

「やっぱり、この人だったなぁ。たったふたりでも、この先一緒に生きていきたいと思える人は」

 その結論が出せたことなんだろう。たぶんこれは、尊い。めちゃくちゃに。



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