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フリーランス一年生 自己紹介1

はじめまして、グラフィックデザインのお仕事の傍ら、型染めを手法とした染色、お花のイラストの制作活動をしています。

よろしければポートフォリオサイトご覧ください!https://hattoridesign.myportfolio.com/

はじめに

2021年1月より本格的にフリーランスとなるまでにも踏んだり蹴ったりの日々でしたが、それは今後お話するとして、簡単な自己紹介をします。

デザイナーになりたいと思った高校時代

高校2年生くらいからグラフィックデザイナーを意識するようになり、3年生くらいには本格的に目指したいと思うようになりました。頭の硬い私は自分が思ったことを曲げるのが嫌いでした。そのため、先生が美大への進学を進めましたが、美術系専門学校に進学しました。

このことは後々後悔するのですが、その時の私はどういうわけか専門学校に行くべきという選択を一歩も譲れませんでした。
(人の話を聞くことはとても大切、、を学びます)

一歩も譲れなかった選択、美術系専門学校へ入学

専門学校の2年間はそれなりに楽しかったですが、物足りなさがとてもありました。それでも高校を不真面目で出席日数ギリギリの私が皆勤賞をもらうほど真面目に通いました。

初めての就職活動

探し方も悪かったのだと思いますが、受かりません。「自分の実力が足りない」ということ以外に、専門学校の2年間でパッと芽が出るほど簡単な職業ではないのです。

この時私は化粧品のお仕事に憧れがあったので、雇用形態に拘らず、関東近郊にある化粧品会社をあたることにしました。そこでポーラ化粧品のデザイン研究所と出逢います。「アルバイトでいいなら、面接しますよ」と言ってもらい飛びつきました。

化粧品会社でアルバイト

ここでの3年間は、無駄口を立たず職人気質で頑張るがモットーでした。デザイナーの皆さんのアシスタントを最初からできていたわけでもなく、きっと使えないことの方が多かったんだと思いますが、

本当に皆さんよくしていただいて、良い方ばかりでした。私のデザインの基盤は全てこの時期のものだと思ってます。

どうにかこうにかロンドン留学

その後私はロンドン芸術大学のCSMのファンデーションコースに留学します。ポーラ化粧品で3年間必死に学費を貯めました。その間英語の勉強もがんばりました。

ロンドン芸術大学に留学する人たちは、経済的に余裕がある人が殆どでした。それぞれの国の4年生大学でしっかりと勉強をしてきた人も多くいます。

当時1ポンド=250円だったので生活をするのが本当に苦しかったです。コベントガーデンにある、ロックミュージシャンのグッズ屋さんでバイトもしてましたし、仕送りなしでは生活できませんでした。

友達が住む家や寮は家賃が一桁違いました。

それはさておき、大学の同級生はみんな本気でした。いい作品を作る人が多くとてもジェラシーでした。私も必死に勉強し、たくさん作りました。

ここで学生のときに制作したポスターをあげておきます。

palatinoフォントの横の線が椅子の座面のしなりに似ていたことでその特徴を画にしました。

スクリーンショット 2021-06-29 9.45.09

ここでの勉強で学んだことは、型にはまってはいけないということでした。こう出なきゃ行けないという固定概念に縛られていると、全くいい作品は作れませんでした。ロンドンに留学するという貴重な時間を大切にたくさん美術館に行き、たくさんの本を読みました。色んな人種に会いました。色んな人がいました。ここでの多くの出会いがまた私の基盤となっています。

1ポンド=250円の強烈な円高でやむなく、4大卒の願いは叶わず、2年目はロンドン芸術大学内の1年間でディプロマがもらえるところを探し、London Collage Comunicationに編入しました。ABCディプロマというふざけた名前ですが、しっかりgraphic Designやタイポグラフィを学びました。ペンタゴンのデザイナーもいてこの曲がった性格の私でもあたたかくデザインを教えてくれました。

帰国してまもなく、また就職活動が始まります。この話は次のブログにて。最後まで読んでいただきありがとうございました。自己紹介が長くなりますがこういう人間だというのがわかった方がフリーランスとしての道筋を語りやすいので、お付き合いくだされば嬉しいです。

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