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『ぜんぶ売女よりマシ』観ました。

フェミニズムをめぐる議論のなかで、社会学者の宮台真司さんが紹介して少し話題になっていた作品です。U-NEXTで配信中とのことで、観てみました。

買春禁止法が成立したスウェーデンで、シングルマザーがセックスワークに就いたことが元夫に知られ、通報され、政府に親権を取り上げられ、子どもはDV野郎である元夫のもとへ。さらに……という内容。舞台はスウェーデンですが、2017年・フランスのドキュメンタリーです。

原題は"Là où les putains n'existent pas"、直訳すれば『売春婦が存在しない場所』(DeepL翻訳)ないし『娼婦が存在しない場所』(Google翻訳)ということなので、ずいぶん強めの邦題をつけたものですね。「売女(ばいた)」は差別用語といいますか直球の蔑称なので変換できない!

とはいえ、政府の雑な仕事も、DV野郎も、娼婦に比べればマシであるかのように扱われ見逃されていることから、この強すぎるタイトルは最適なのかもしれません。

気を付けなければいけないのは、他国の状況を伝えるドキュメンタリーは自国民に対してのメッセージ性が強いこと。フランスは2016年に買春を違法化したものの、売春は依然として合法という状況にあります。今後の動きに対しての牽制の意味は少なからずあるでしょう。

日本の場合は、フェミニストを含むいわゆる左派リベラルに対する批判のひとつとして「性産業への不寛容」が挙げられ、本作は性産業に対する寛容さの必要性を語り、フェミニストを攻撃するうえでの"武器"とされる傾向にあるわけですが、これには違和感があります。

というのも、性産業を否定する意見としては、性産業の嫌悪だけはでなく、その将来性の低さが指摘されます。くどくど説明する必要はないでしょう。言い方は悪いけど「賞味期限」の問題です。優れた経歴や技能のないシングルマザーが当面の生活のために性産業に従事した場合、その状況から脱するのは難しいにも関わらず、その一方で続けたくても続けられない日が来ます。

以前別の記事(記事の末尾参照)で書きましたが、かなり広く見ればエロ絵を描いている人たちも境遇は同じです。なかには長年続ける方も稀にいますが、時代にあわせた若い感性が求められる世界なので、歳をとるほど厳しくなっていくのはセックスワーカーと似ています。違いは、絵描きは「自分の感性を変える」ことで対応できることですが、"こだわり"が足を引っ張ります。

本作は、スウェーデンが性産業の入り口をただ塞ごうとしたことの失敗を伝えていますが、これは手段や経緯の問題です。改善すべきポイントのいくつかは示されており、反転して性産業を肯定する内容とは違います。

もちろん、子どもの頃からの夢で、ほかに就ける仕事はあるけど性産業にぜひ就きたい、という人を止める権利は誰にもありません。そういう場合は他人が将来性の心配をするのは余計なお世話です。でも、それ以外の人には他の選択肢が与えられるべきでしょう。本当に好んでその仕事に就いた人は、ほかに選択肢があったのでしょうから。

「本当はやりたくないけど、ほかにない。お金のためには仕方がない」

という考えは、性産業に従事する人たちだけが抱えているものではありません。女性だけでなく男性も、いま何かしらの職に就いている多くの人々が、同じ背景の前に立っています。

もちろん誰もが子どもの頃からやりたかった仕事に就けるわけではないでしょうけれど、「できること」を優先してしまうと「やりたいこと」から遠ざかります。せめて選択肢があれば、少し「やりたいこと」に近づけます。

フェミニストを含む左派リベラルと呼ばれる人々は、ほとんどが、そもそも子育てや、生活に必要な金額を下げることを求めています。必要な金額が低ければ、より低い収入のほかの仕事が選択肢に入って来て、不本意な仕事に就かずに済みますからね。

彼女たちは決して性産業という選択肢を潰して、技能や経歴に優れない女性たちの生存権を脅かそうとしてなどいません。

SNSのエコーチェンバーのなかで見聞きするものが世界のすべてだと思っている近視眼的な人々は、過激な意見を持つ一部の人々の、さらに一部の発言だけを見て、想像上の強大な悪意に囚われています。

あらてめて本作タイトルを見て思うのは、売女も彼らよりはマシということです。


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