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マリオ天皇2

「ほめる」か「けなす」かどちらか一方に偏るのは不幸、という話の続きです。

なかでも特にゲームは「ほめる」オンリーになりがちな分野。主な原因は、ユーザー同士が"競争関係"にあることです。

ゲームには「うまくやれた=上手」「うまくやれない=下手」という価値観が付きまとうため、ユーザーは「うまくやれない」という声をとてもあげにくいという事情があります。SNSで愚痴でもこぼせば、どこかから「おまえが下手なだけ」とクソリプが飛んでくることは容易に想像できますからね。

ゲーム以外でも、映画や小説にも難解なテーマや納得いかない表現があって「わかりにくい」と言いだしにくいことがあります。逆にそれを察知して「わかる」と言うことでマウントを取りに来るひともいますけど。

ただし「わかりにくい」については、視聴者サイドに「解明する楽しみ」を期待する向きもあるので、それほど悪いことではない場合もあります。

とはいえゲームの「うまくやれない」に声を上げられないのは、大問題です。マウントマンは「上達すればいいだろ」「上達するところがゲーム」と言うでしょうけど、上達することを楽しめる部分と、そうではない部分があります。

もしゲームを買う前に、「両手あわせて4本の指を、急に目前に敵があらわれた瞬間に一切ミスなく押したり離したりある指は決して離さず別の指は連打しなければやりおなおしになる場面がよくある」と知っていたらそのゲームを買うでしょうか? 「そういうのをうまくやれるようになるため、お金を出したい」と思うでしょうか?

「思う」と言えるひとたちだけが喝采し、「思わない」ひとたちが脱落した結果、高難度化が激しく進み衰退していったシューティングゲームのようなジャンルもありました。

厳しい競争社会になりがちなオンラインRPGもこの傾向が顕著です。しかも、単なる高難度化だけでなく、ユーザーインターフェースの悪さまで肯定するユーザーが現れ、悪いインターフェースの改善を求めることにすらストレスがかかることが実際にあります。

そもそも「ゲームクリエイターになりたい」と思う人は、当然のようにゲームが好きで、ゲームをうまくやれてきた人たちがほとんどです。ゲームを能力測定器だという人や、簡単にクリアされると悔しいという人もいます。

もちろん、ユーザーに対して"クリエイターからの挑戦状"であることが明確になっている場合は別で、そういう作品が好評を得ることもありますし、こういう"住み分け"はとても良いことです。

ところがゲームメーカーはもちろんゲームメディアも「誰に向いていて、誰に向いていない」かという大切な情報を積極的に出そうとはしません。現在の日本のような傾きかけた経済至上主義社会では"目先の利益"が優先されて「とにかくたくさんの人に買ってもらおう」「続報の記事にも期待してもらおう」とするのはごく自然なことで、やむを得ない側面もあります。

長期的視野に立てば、ブランドが棄損されて続編が出なくなったり、ユーザーを減らすことになり、クリエイターもユーザーも"誰も得しない"としか言いようがありませんが、企業サイドに自ら舵を切れと言っても難しいでしょう。

せめてこれからクリエイターになるひとや、楽しめる新作を待ち望むゲーム好きのひとたちは、臆せず声をあげていってほしいところです。

ところで昔、ファミコン時代のゲーム雑誌はゲームごとにコントローラーの操作方法(ボタンの割り当ての図)が掲載されていました。この図を見るだけでも難易度がわかるので、復活させてほしいな~と思います。

なお、ぼくは団塊ジュニア世代でありファミコン世代なので『スーパーマリオ』の大流行時に1はもちろんも高難度を謳った2も楽しみました。でも、スーパーファミコンで発売された『スーパーマリオワールド』は遊びませんでした。『スーパーマリオワールド』はスーパーファミコンとの同時発売タイトルのため注目度が高いわりに情報が少なく、このときはゲーム誌に操作方法の説明が掲載されたのですが、それは当時のぼくにとっては「ありえない」と思うものだったのです。

(つづく)





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