見出し画像

システマ随想 第一回 「3つのレベル」 文/北川貴英

この記事は無料です。

ロシアン武術「システマ」の公認インストラクターである、北川貴英氏が書き下ろしで語る、私的なシステマについての備忘録。第一回目の今回は、北川氏が2014年10月~11月にシステマ創始者・ミカエル・リャブコ氏のセミナーに同行した際にミカエル氏より聞いた、「3つのレベル」について語って頂いた。



システマ随想

第一回 「3つのレベル」

文●北川貴英


敢えて、“私的”に語るシステマ

 本連載に関しては、新たな試みをしようと思います。これまで筆者は書籍や雑誌などでシステマについて語るとき、極力私見を入れないようにしてきました。それはシステマを日本に伝えるパイプ役に徹してきたためです。


 しかし筆者の視点でシステマを学び、語る以上、そこから完全に私という個性を消し去ることは不可能です。そのためあえてこの連載では私的な見解や考察などをいくらか積極的に記すことにしました。そうして個人的な人となりや思考回路が分かれば、それをこれまでに上梓したシステマ本から引き算できると考えたためです。

 これは受け手にもある程度の手間が必要とされますが、テキストという形で可能な限りピュアな状態でシステマを残すための、一つの試みです。とは言え、そんなこ難しいことを考えずとも楽しめる記事を目指しますので、気軽に読んでいただければと思います。

 初回に取り上げるのはミカエル・リャブコが定義する「3つのレベル」に関しての考察です。


ミカエルの語った、「三つのレベル」

 筆者は10月終わりから11月中旬にかけての約3週間、創始者でミカエル・リャブコに随行するという機会に恵まれました。ミカエル一行は、ミカエル本人とミカエル夫人のラリッサ・リャブコ、子息のダニール、そしてスティックコンディショニングの施術者であるアレックス・サポロノフの4名。夫人のラリッサは公私にわたってミカエルをサポートするパートナーであり、ダニールはミカエルにとって優れたアシスタントであると同時に、唯一無二の後継者と言えるでしょう。

 彼らと同行するといっても、別に特別レッスンが受けられるわけではありません。会話も食事や、セミナー参加者からの感想を伝えたりといった雑談程度で、ミカエルからシステマの秘伝を授かるようなことももちろんありません。


 ただ時折、話の流れの中でシステマについて触れることがあります。その中で特に示唆に富んでいたのは「3つのレベル」についての話でした。ミカエルはシステマには3つのレベルがあるといいます。

 レベル1はいわゆる従来のシステマです。ストライクやナイフワーク、ブリージングなどテクニカルな要素はすべてこのレベル1に含めることができるでしょう。ですから筆者が上梓したすべてのシステマ関連本及び、これまで発売されたシステマDVDの大部分がこのレベル1と言えます。続くレベル2は心身の内部や空間といった領域へのアプローチとなります。

 レベル1が目に見える世界であるのに対し、レベル2は目に見えない世界を扱うものと区別することができるように思います。あるいはレベル1の主な仮想敵が外敵であるのに対し、レベル2では自分という分け方もできるでしょう。

 昨年からにわかに注目を集め始めた「インターナルワーク」は、このレベル2の導入部分に位置付けることができます。インターナルワークとは、心身の内的な状態を整えコントロールしていくというもの。これもインナーマッスルや骨格といった直接動作に関わる領域から、臓器、血流、神経系などより中枢に近いところへと深まり、やがて感情や精神といった領域にまで至っていきます。こうして自己の内面が観察できるようになれば、自ずと他者の内面にも意識が及ぶようになります。その結果、マーシャルアーツの技術もまた深く浸透力のあるものになるのです。しかしインターナルワークはあくまでもレベル2の初期段階にすぎません。より先の領域に進むための準備なのです。



 このインターナルワークの次に来るのが、ノンコンタクトワークと呼ばれるものです。これは直訳すれば「非接触の接触」です。物理的な接触以前に生まれている人と人の関係性に目を向けていくのです。こう言うと中には「触れずに人を飛ばす」ような技を連想する方もいるかも知れません。しかしそれはあくまでも付随する現象の一部に過ぎず、目指すべき目的ではありません。ここで特に求められるのは、対象のシフトです。つまりインターナルワークまでは、その対象は感情や精神も含めた広義での身体でした。ですからどれだけ突き詰めても、対象が自らの身体であることに変わりはありません。しかしノンコンタクトワークからは、ワークの対象が「身体を動かすもの」へとシフトします。つまり動きの源へと一歩進んでいくのです。


 ではこの段階を経た次は一体どうなるのでしょうか。残念ながら筆者はレベル2の後半以降に関して、何も学んでいない状況です。断片的に垣間見せてもらっていますし、もしかしたら筆者が気づいていないだけでミカエルは懸命に伝えようとしてくれているのかも知れません。でもこれについて解説できるほどの理解は現時点では私の中にはありません。


レベル3は宗教の世界?

 だからと言ってただ手をこまねいているわけにもいきません。ですからあえてミカエルの言葉やその他の情報をもとにレベル3について考察してると、かなり宗教的な領域であることが推測できます。日本ではオウム事件の影響か「宗教」という言葉に対するアレルギーがかなり強い印象があります。確かに信徒を盲従させ、主体性を奪い、これを悪用した事例は世界史を振り返っても枚挙のいとまがないほどです。
 しかし宗教とは本来、自らのルーツを辿る試みであると言えます。

 なぜ自分がこんな行動をするのか、 言葉を発するのか。

 こうした問いは「自分はなぜ生きているのか」という根源的な問いへと至り、これをもう少し進めると「何が自分を生かしているのか」という問いになるのです。ミカエルにもまた、自分の源を知りたいという欲求があると語ります。だからミカエルにとっての進歩とは、そのルーツへと近づいていくこととほぼ同義なのではないでしょうか。それがどれだけ達成できたかが、3つのレベルの指標となるのです。


目に見える世界から、見えない世界へ

 ここでやはり避けられないのは「宗教」という視点です。しかし実は伝統的な宗教は一般的に思われているよりもかなりフィジカルなものであることを踏まえておかなくてはいけません。その証拠に、時空を超えて伝えられる伝統的な宗教には必ず身体的な行が存在します。禅宗の座禅然り、正教の聖地アトス山に残されている静寂主義の行法然り。修験道に山駆や滝行などの過酷な修行が伴うのも広く知られるところです。これに関しては筆者自身もまたかつていくつかの行法を実習し、何度か興味深い体験をしたこともあります。

 その一つが、かつて藤平光一師、多田宏師といった名だたる合気道家が参加したという一九会の禊会に参加した時のことです。現代はかなり簡略化されたとはいえ、三日間ぶっ通しで祝詞を叫び続けるというハードな行が課されます。足が麻痺し、声が出なくなっても、なお叫び続けるのですが、中盤を過ぎる頃には行を行う度に身体感覚が大きく変化していきます。まるで胴回りが樽のように太くなったように感じられるのです。とは言え、実際の腰回りは元のままなのですが、あまりの違和感に何度も目で自分の腹部を見て確認してしまうほどの明確な感覚でした。この感覚は数日間続き、その間は武術の稽古をしても技の威力が大きく異なっていたのです。また他のところで修験道由来の気合法を学んだ時は、短期間で不思議な感覚が目覚め、日常生活に差し支えてしまったなんてこともありました。こうした体験を通じて、身体性と宗教性の関連についてある程度理解していたからこそ、システマがキリスト教と密接なつながりがあることを知った時も、すんなりを受け入れられたのではないかと思います。


フィジカルと宗教

 この身体性と宗教性の関連は、一言でいうなら「浄化」ではないかと考えています。つまり身体をよりクリアな状態にしていくのです。システマでは筋肉のこわばりを解くリラクゼーションがこれに当たります。強張りという不純物が除去されることで精神もまたクリアになり、無色透明な状態へと近づいていくのです。しかしこうした浄化はあくまでも手段であり、目的ではありません。浄化とは自分という器を磨きあげる作業のようなものです。そうやって磨いた器に何か意味あるものが入って初めて完成するのです。

 こうしたことを3つのレベルに当てはめるなら、レベル1と2は器を磨く段階と言えるでしょう。これに対してレベル3は、器の中を満たしていく段階と言えるでしょう。ここに至れば

「どこまでも先に行くことが出来る」

とミカエルは語りますが、何を満たしていくのかは筆者のレベルで語り得ることではありません。もしかしたら、人為的な努力では到達することはできず、何かがたまたま器の中に入るのを待たねばならないのかも知れません。あるいは意図しない異物が入ってしまうのを防ぐ方法などもあるような気がします。

 こうした段階に進む上で今の私にできるのは、ただ自分の身体という器を磨き、しかるべきものが入るのを待つことなのではないかと思うのです。その時にあるのはおそらく「自ら動く」のではなく「内側から何かに動かされる」動きなのではないかと予測しています。「自ら動く」の主体となるのは、自己です。その自己を超えたなんらかのものとの共同作業になるためです。


限られた時間の中で如何に学ぶか

 ではシステマを学ぶ者は誰もがこの3つのレベルを下から順に進んでいくべきなのでしょうか。その答えは否であると私は考えます。なぜなら、人間には自由意志が与えられているからです。だからレベル1に留まり、その中だけでの向上を目指す自由もあるでしょう。中にはいきなりレベル3に開眼する人だっているかも知れません。

 ですが筆者は残念ながらそんな幸運に恵まれることもなく、レベル1から積み重ねる道を歩んでいます。そしてそこに留まるつもりも毛頭ありません。なぜならレベル1からレベル3、そしてその先も含めたシステマの全体像を知りたいからです。一部だけをつまみ食いして満足できるほど無欲な男ではどうやらないようです。だから創始者であるミカエルが現役で指導にあたっているうちに、できるだけ多くの知恵を引き出したいと思ています。その時間はおそらくあと20年も残されていないでしょう。もちろんミカエルの末長い健康を願いたいところですが、いかにシステママスターとは言え、不死という訳ではないのです。ですから時間は限られています。自分の小さなこだわりやエゴで足踏みしている場合ではないのです。





-- Profile --


著者●北川貴英(Takahide Kitagawa)

08年、モスクワにて創始者ミカエル・リャブコより日本人2人目の公式システマインストラクターとして認可。システマ東京クラスや各地のカルチャーセンターなどを中心に年間400コマ以上を担当している。クラスには幼児から高齢者まで幅広く参加。防衛大学課外授業、公立小学校など公的機関での指導実績も有るほか、テレビや雑誌などを通じて広くシステマを紹介している。


著書

「システマ入門(BABジャパン)」、「最強の呼吸法(マガジンハウス)」
「最強のリラックス(マガジンハウス)」
「逆境に強い心のつくり方ーシステマ超入門ー(PHP文庫)」
「人はなぜ突然怒りだすのか?(イースト新書)」
「システマ・ストライク(日貿出版社)」

DVD

「システマ入門Vol.1,2(BABジャパン)」
「システマブリージング超入門(BABジャパン)」

web site 「システマ・ブログ」 SYSTEMA TOKYO Web Site

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?