見出し画像

いきなりプロポーズ。大きな鯛をポンと置いて、よかったら食えよ、おれ、おまえのこと、好いてるから嫁になってくれや。

漁師町の海岸で網を手直しするお婆ちゃんがいた。この町で
民宿をやっている多美子さんだ。
この多美子さんが、
「絶対に主人には内緒だよ」
と言いながら、昔話をしてくれた。
「自分で言うのは、恥ずかしいけど、わたしゃ、若い頃は、この町一番のベッピンさんと呼ばれた。だから、今の主人の前にも恋人はいたよ。漁師でね、赤銅色の顔をしたそうそう、リポビタンDの宣伝でファイトーって言ってる兄ちゃんのような男やった。名前は、えーと、これは内緒、秘密のアッコちゃんや。もう正月も1週間後に迫った年末やったのお。その男が、こうやって、網の手直ししてる、わたしの所に寄ってきた。前から、わたしは、この男が一番ええと思ってたから、ドキドキしながら、でも、悟られたら恥ずかしいから何食わぬ顔して、網を見つめてた。すると、あいつは大きな鯛
をポンと置いて、よかったら食えよ。それと、って言って、なかなか続きを言わず、やっと言ったと思ったら、おれ、おまえのこと、好いてるから嫁になってくれや、っていきなり言ったんだ。わたしは、びっくりしたよ。いきなりのプロポーズやもん。明日から1週間ばかり漁に出るからオーケーやったら、明日の朝、見送りにきてくれやと言ったんじゃ。前から、好きやった男やったから、もちろん、オーケーや、忘れもせん、わたしは朝の4時ににぎりめし5個、握って港に行ったよ。でもなあ、その日、海は大荒れやったんや。で、次の日、町中が大騒ぎになった。なんと、あの人が乗った船が沈んだって、葬式に行ったって、死体もないんだよ。泣けったって、泣けないよ。どうも、喉元に何かがつっかえたような気がして正月を迎えたんや。そしたら、元旦の朝、あの男からの年賀状が来てるやんか。
3日の日に、お父さんお母さんに、ご挨拶に伺いますって書いてあったよ。
ああ、漁に行く前にポストに入れたんや。そう思ったら、やっと涙が出てきたよ」
そう言いながら、ふと顔をあげ海を、見つめる多美子さんの目には想い出涙が光っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?