人生を通じての邂逅のなかでも,仕事を機縁とするめぐり合いの妙味は,わけても名状しがたい。
裁判官,弁護士等の法曹実務者であれば,忘却し得ぬ出会いは,事件を通じてもたらされるのであろうか。破産再生事件の実務家として著名な園尾隆司 氏の場合,村上水軍との出会いは,”国際海運会社の民事再生事件の代理人を務めた”ことにはじまる。
“徳島県でありながら,愛媛県にも香川県にも歩いていくことができる四国の中心地へきち”であり,銅山川が吉野川に合流する四国山地の最深部 徳島県三好郡山城谷村(現在の三好市)に出生した園尾氏は,当該事件にめぐり合うまで“不覚にも瀬戸内に存在した村上水軍のことを知らなかった”という。
この国際海運会社に係る民事再生事件は
再生を遂げた後,園尾氏が当該会社の担当者から話を聞いたところ
村上水軍と邂逅した園尾氏は,元裁判官として,古代から中世にかけての村上水軍の成立から盛隆に至る諸説について,事実認定を行い,当否を検証していく。
“武装した海運業者”であって海上賊徒に非ざる村上水軍が,近世初頭に忽然と姿を消したにもかかわらず,“世界に名立たる今治海事クラスターにどう繋がっていくのか”この点に,園尾氏は疑問を抱くことになる。
なぜ今治にこれだけの海事産業が集積しているのかという疑義に対し“今治の地元では村上水軍の末裔がこれを支えていると信じられている”との回答が常に示されるとのこと。
しかし,園尾氏はこの点に大きな疑問を抱く。
件の民事再生事件の債権者団が主に伯方島に拠点を置く海運会社であったことに由縁し,伯方島から謎解きを追う中,能島村上水軍と因島村上水軍の後裔たちとの出会いも重なり,園尾氏は解として “村上水軍の経営哲学” にたどり着く。
1000年を超える歴史の激流にもまれ,鍛え上げられた経営哲学が受け継がれる芸予の島。この興亡の海域で,明治の新時代に至り新たな争乱が始まる。“武装した海運業者”に代わり“電気事業の創業者”による,潮流から電流へと戦場を移しての経営争奪戦である。(つづく)