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興亡 潮流と電流~名も奇抜なる瀬戸内海横断電力株式会社(1)

人生を通じての邂逅のなかでも,仕事を機縁とするめぐり合いの妙味は,わけても名状しがたい。
裁判官,弁護士等の法曹実務者であれば,忘却し得ぬ出会いは,事件を通じてもたらされるのであろうか。破産再生事件の実務家として著名な園尾隆司 氏の場合,村上水軍との出会いは,”国際海運会社の民事再生事件の代理人を務めた”ことにはじまる。
“徳島県でありながら,愛媛県にも香川県にも歩いていくことができる四国の中心地へきち”であり,銅山川が吉野川に合流する四国山地の最深部 徳島県三好郡山城谷村(現在の三好市)に出生した園尾氏は,当該事件にめぐり合うまで“不覚にも瀬戸内に存在した村上水軍のことを知らなかった”という。

この国際海運会社に係る民事再生事件は

スポンサー探しが行き詰まり,自力再建か破産かの瀬戸際に立たされていた。その時,突如浮上したのが,瀬戸内の船主群からの資金提供の話であった。その中核は村上水軍の末裔といわれる方々であると聞いていた。かねてより,海運事件をやり遂げるには,瀬戸内の圧倒的な力に着目する必要があると聞いてはいたが,具体的にそれが何を意味するのかまでは,その当時は知る由もなかった。

倒産手続の申立てをした会社が,第三者から資金提供を受けて再建を図ることには危険が伴う。会社更生申立てをして再建を図ったある国際海運会社は,ヘッジファンド運営会社から資金を調達したが,その後,その支配下で事業が切り売りされ,残ったのはごくわずかの事業とスペース借りをした狭い事務所のみ,とのうわさも聞いていた。そのため,資金提供者が誰であるかが問題となるが,村上水軍グループを中核とする瀬戸内船主群17社からの資金提供条件は,極めて緩やかなものであり,基本は,「海運会社として再建して日本の船主を使う存在になること」ということであった。

再生を遂げた後,園尾氏が当該会社の担当者から話を聞いたところ

「村上水軍の資金提供は本物です。短期利益を追求するどころか,短期に上がった若干の利益を配当に回そうとしたところ,海運会社の業績は浮き沈みが大きいとして,当の株主から利益を内部留保するよう求められました」ということであった。これほどまでにスケールの大きいことを考える村上水軍というのは,どういう存在で,どういう経営哲学を持つものなのか。これが,民事再生事件終結後の,私の探求の課題となった。

村上水軍と邂逅した園尾氏は,元裁判官として,古代から中世にかけての村上水軍の成立から盛隆に至る諸説について,事実認定を行い,当否を検証していく。
“武装した海運業者”であって海上賊徒に非ざる村上水軍が,近世初頭に忽然と姿を消したにもかかわらず,“世界に名立たる今治海事クラスターにどう繋がっていくのか”この点に,園尾氏は疑問を抱くことになる。

日本の保有外航船舶の30%がここで保有されており,日本で建造される船舶の17%がここで建造されている。今治に本社や拠点を置いている造船会社のグループ全体では,日本全体の30%を超える船舶を建造している。

北欧,香港,ピレウス(ギリシャ)と並んで,今治は,世界4大船主都市の一つである。世界4大船主都市には海運業者が集積するが,ここ今治には海運業のほか,造船業およびこれに関連する電子機器製造業,保険業,法律事務所など,多数の海事関係事業が集積している。海運・造船その他の海事関係事業が結び付いた総合的海事都市は,今治のほかには世界に例がない。

なぜ今治にこれだけの海事産業が集積しているのかという疑義に対し“今治の地元では村上水軍の末裔がこれを支えていると信じられている”との回答が常に示されるとのこと。
しかし,園尾氏はこの点に大きな疑問を抱く。

能島村上水軍が活躍したのは中世後期のことであり,豊臣秀吉の海賊禁止令により,江戸時代を目前にして能島村上水軍は瀬戸内海から退去し,因島村上水軍も同様に瀬戸内から退去し,来島村上水軍も関ケ原で西軍として戦ったために,敗戦により瀬戸内海から退去することになった。その後,今治海域ないしその島嶼とうしょ部に村上水軍が存在したという資料・文献は現存しない。

村上水軍が近世初頭に瀬戸内から退去したあと,江戸時代の空白を経て,明治になって今治海域に海事クラスターが成立し,これに卒然と村上水軍の末裔が関与しているかのように見えるが,そんなことがありうるのかという疑問である。

以上,園尾隆司「村上水軍 その真実の歴史と経営哲学」

件の民事再生事件の債権者団が主に伯方島に拠点を置く海運会社であったことに由縁し,伯方島から謎解きを追う中,能島村上水軍と因島村上水軍の後裔たちとの出会いも重なり,園尾氏は解として “村上水軍の経営哲学” にたどり着く。

1000年を超える歴史の激流にもまれ,鍛え上げられた経営哲学が受け継がれる芸予の島。この興亡の海域で,明治の新時代に至り新たな争乱が始まる。“武装した海運業者”に代わり“電気事業の創業者”による,潮流から電流へと戦場を移しての経営争奪戦である。(つづく)

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