AIのゲームバトルで思うこと
最近、ゲームにおいてAI対人間でdeepmindが矢継ぎ早に金字塔を立てている。新たに発表された人工知能「AlphaStar」が行った「スタークラフト2」戦は我々に多くのことを示してくれる。
人間とAIが共に成長していくという概念は随分ありふれたものになって来たと思うが(機械との共存については、有名な本の一つに「機械との競争」がある)、反対に人工知能の訓練段階で、我々はどれくらいプロゲーマー自身の背景に焦点を当てて、アルゴリズムを改善して来ただろうか?
WIREDの記事でも触れられているように、AIはプロゲーマーがこれまで遭遇したことのない戦い方で挑んでくることで、人間を打ち負かしている。その中で、気になったことはリスクの取り方である。訓練においては、人間のこれまでの戦いを観戦させること学習させているが、AIの戦い方は、まるで施設で育ち、偏った教育をされた子供のような印象を受けた。特に最後の1戦では、WIREDの記者も「その様子は、まるでAlphaStarが混乱しているかのようにも見えた。」と記しているように、自分の力をこれまで過信していたが、突然の変化に対応しきれずコントロールを失った天才児が起こすような行動になぞらえてしまう。
もう一つは、リスクの取り方だ。人間は個人の性格に寄与するところが多いと思う。これまで歩んで来た人生や、失えるものの大きさが色々影響してくる。だからことギャンブルというのは向き不向きがあって、極めて不合理なゲームにも関わらず人々はいつまでもそれに時間を費やしている。だがAIはどうだろうか?彼らにはリスクをとる時に恐怖心というものは芽生えるのだろうか?現時点で、機械というのは「守るべきものがない」状態にある。まるで、家族がいない天涯孤独なスパイみたいだ。(映画とかドラマの見過ぎかな?www)
その一方で、対戦相手の人間はどうだろう。プロゲーマーは若い人が多いので、何も恐れずに突っ込んでいく精神が強いのでAIとそれほど変わらないかもしれない。しかし、彼らには体裁があって、全世界がそれを見守っているというプレッシャーがあって、世界一というプライドもある。心理戦は戦略を考える上で、重要なファクターだと思うが、今の人間対機械の戦いには、それが平等に存在しない。
シンギュラリティや機械が人間を圧倒して人を支配するとか、機械VS人間の全面戦争などいろいろscience fiction的な話は色々出ているが、機械にも「守るべきもの」が生じた時、AIがどのような戦略に出るのについて論じている話はあまりみない。同時に、我々は、彼らに恐怖心という概念を訓練すべきなのだろうかという問いの答えも私は知らない。
人間は生存を継続するために、これまで多くの努力をしてきたが、まだ最適解は見つかっていない。(同時にそれは、発展の余地を意味するので、不安定な時代に生きていることを幸運に思っている。)守るべきものを顧みない未熟な知能は、もしかしたら、斬新な生存戦略の解をもたらしてくれるのかもしれない。生まれたての知能は、どんな未来をみつめているのだろうか?
話がまとまらないmemo noteになってしまったが、推敲する元気もないので、今日はこれでおしまーい。
ボストン、寒いなー。鼻水止まらないなー。
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