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O・ヘンリー「幻の混合酒」を読む

O・ヘンリー「幻の混合酒」(『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編 』光文社古典新訳文庫所収)。

毎年年末近くになると、つい手が伸びる本がある。
山口瞳『酒呑みの自己弁護』(ちくま文庫)。読んだからといってべつに酒の飲み過ぎだと反省するわけもないのだが。

この本を読み進めていくと「失われた混合酒」という章があって、その冒頭にこうある。

酒がテーマになっている小説では、O・ヘンリーの『失われた混合酒』の右に出るものはない。

しかも、

私は『洋酒天国』というPR雑誌を編集していて、酒の出てくる小説を開高健と一緒に片っぱしから読みあさった時期があるから、自信をもって断言する。

とある。
これは読まないわけにはいかないではないか。
長いことO・ヘンリーの短編集は新潮文庫版が定番だったが、しばらく前に新訳で光文社古典新訳文庫でも登場した。くだんの短編はしっかりと訳されている(タイトルは「幻の混合酒」となっている)。
この短編との巡り会いは、O・ヘンリーだけに、良い意味で〈賢者の贈り物〉といえるだろう。

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コン・ラントリーは、ケニーリーの経営する酒場のバーテンだ。仕事では几帳面で責任感も強いけれど、酒は呑まないし女性恐怖症でもあった。
だから、ケニーリーの娘キャサリンに恋心を抱いていても、彼女の目の前ではいつもおどおどしてしまう。
ある夜なども、コンはキャサリンに声をかけられるが、アドリブが効かずにいつものようにしどろもどろで終わってしまうという体たらくだ。

ある日、ケニーリーの店に、ライリーとマッカークという屈強な男ふたりがやってくる。彼らは裏の部屋に棲みつくや、瓶やコップやらを持ちこんで、何やら日がな一日カクテルの研究に没頭しはじめる。
ライリーは、コンに自分たちがなぜカクテル研究をしているかを打ち明ける。

ふたりが昨夏、ニカラグアで酒場を開業しようとして、船に乗っていたときのこと。
上陸直前に、船長が彼らにこう教えた。
「ニカラグアでは、瓶詰めの酒には48%の関税がかかるのだ」
その高さに驚いたふたりだが、樽詰めなら非課税だと知って、船長から譲ってもらった船荷の樽に持って来た酒を慌てて注ぎこんだ。

上陸後、ふたりが樽を開けると、ひとつはとても呑めたもんじゃない代物になっていたが、もうひとつは、

勇気がむくむくと湧いてきて意気に燃えるっていうか、なんだってやってやろうじゃないかって熱くて図太い気持になる

というような、黄金の透明な液体へと変化していた。

はたして、その酒を彼らはニカラグアで売って大儲けした。
帰国したふたりは、たちまちにして破産寸前、偶然にできた産物をもう一度再現させなければならないという懐具合になりはてた。
もちろん、いまになってもまだ再現はできていない。あの黄金の液体をつくるのには何かが足りないのだ。

一部始終を話し終えると、ライリーはコンに一杯すすめる。
しかし、彼はやんわりと断る。その断るセリフのなかに、例の幻のブレンドを再現する手がかりがあるのだが、これはこの短編のキモなので、ここでは伏せておく。

その後、幻のブレンドを誕生させたライリーとマッカークだったが、その酒の成分も手伝って部屋の中で暴れまくった揚げ句、ついにパトカーのお出ましとなってしまう。
コンは、その喧騒のなか、テーブルの計量カップの底に残った液体を口にしてみる。

そして部屋を出て廊下を通りかかると、キャサリンが声をかけてきた。
すると彼はいきなり彼女を高々と抱え上げるや、ぼくたちは結婚するだろうと告白し、そのまま抱き締める。そのあとのキャサリンの一言に読み手はニヤっとするはずだ。
 
この短編には、酒という液体が持つ〈呪術性〉みたいなものがくっきりとあらわされている。ライリーたちの暴力も、コンの〈勇気〉も、酒が彼らに与えた魔術にほかならない。
山口瞳や開高健が気に入った理由も、ひょっとしたらこの一編に酒の持つ〈原初性〉みたいなものが端的にあらわされているからではないか。
忘年会シーズンたけなわのこの時期、というわけではないが、ハート・ウォームとか、人生の機微、皮肉、といったキーワードで語られやすいO・ヘンリーの短編にあって、ちがう一面を見せてくれる一編だ。

 


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