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創価学会の支援活動の今〜2021衆院選〜

まあ支援活動って公示前までが本番なんですけどね


コロナ禍前はよく学生部や男子部の会合前や会合の最後に「電話作戦」と称して、全員で知人友人にお願いをしていたのを懐かしく思います。

が、私はあれが大嫌いでした!!!!

自分の好きなタイミングならともかく、半強制的に電話かけるとか嫌やん。そもそも電話嫌いだし。

まあ、電話かけるの嫌なら題目あげててって救済処置も自分の組織ではあったからいいんですけどね。

だけど電話作戦その物自体に疑問があったんですよね。

今の地元の男子部の部長なんか「支援の電話で友達全部なくしたw」とか言ってるし。まあ自分もそうなんですけど。

そもそも自分らの同年代でいきなり電話かかってくるの嫌じゃないですか。出たくないよそりゃ。しかも面白くない話だし選挙の時だけかかってくるし。

だけどそもそも旧友なんて、なんか用事がなければ電話しないし連絡取らないし。自分みたいな体力ない人は、友人関係保つための定期メンテにかける体力なんてどこにもないので、1度総当りして(ああ、この人はこういう反応なのね)と知れたのは良かったかもしれない。

気軽にOKくれる人もいれば罵倒してくれる人もいるし、その辺はガチャじゃないかな。


今は会合ないから各自にやり方任されてて楽。ずっとこれでいいよ。LINEあるし。LINEで頼む方が自然じゃん。いきなり電話で「久しぶりー!元気してたー?最近どうー?そうかー、ところで今度選挙あるじゃん」とかするより、LINEでやる方がやりやすい。

選挙なきゃ連絡取らない友人いるから、そういう人と情報交換できるのはほんと有難いんだよねー。だから自分のスタンスは、

連絡取りたい人だけ連絡して、お願いできそうならする

これに尽きますわ

やりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらなくていいし、バリバリやりたい人は違反しない程度にやればいいし。

学会の上層部は「支援やらない人は臆病者だ」みたいなこと本幹で言ってたけど

現場は「やりたい人がやりたいだけやることを応援する」雰囲気にシフトしてるんですよね(地区幹部以上になると上からのプレッシャーあるけど)。

別に自分はそれでいいと思うし、そもそも友好拡大のために支援活動はあると思うので、それが本来の姿だと思ってる。


大体公明党ももうすぐ結党60年なんだから、創価学会頼みからいい加減脱却してくれ。なんで未だに学会首脳陣が引き締めにかからないといけないんだよw

月刊「公明」読んでて「党勢拡大に猛進せよ!」と毎回書いてるけど、本当に公明党は支持者獲得に頑張ってるのか疑問。政策立案とかそれを実現させる力、声を聞く力はあると思いますよ。「制作が綺麗事ばかりで実際は違う」と言われますけど、どこの政党だって組織だって企業だってそんなんもんだし。


支援活動のもう一方は、小選挙区に足を運んでお願いすること。今でもお店とかにお願いしてる人沢山います。

このコロナ禍でどうなのと思う反面、個人経営のお店にお金落として、「公明党お願いします」と笑顔で会計時に行って、本当に入れたかどうか知らないけど、選挙後にお店行って「ありがとうございました」って言いに行くのって結構楽しいんですよね。色んな美味しいもの食べられるし、知らないお店発見できて楽しいし。

そう

支援活動はお祭りなのです!

遠い選挙区や選挙区がないとこでも遠征して、その地の美味しいもの食べて、ついでにお願いする。支援活動を口実に色んなとこ行って色んなもの食べて色んな景色見るって楽しいんですよねーw


薬師寺克行著「公明党〜創価学会と50年の軌跡〜」にも

創価学会にとって選挙は祭りである

て書かれてますけどほんとそうだと思います。楽しんだもん勝ちなんです。支援活動って。(上述の本については書評書こう書こうと思ってはや数ヶ月……。公明党創価学会の動きとその周辺の出来事を事実ベース時系列で記してくれてるので、結構気に入ってます)。


まあお店の人に頼むのってめちゃくちゃ迷惑だと思うんですけどねw

ただ、空いてるお店のマスターと会話する口実にはなるんで、それはそれで楽しいんですよね。コロナ禍だから感染症対策はバッチリしなきゃですけど。

まあ、自分は体力ないので今回してませんw


女性部(旧婦人部)が強い強い言われてるのは、支援活動をお祭りと思ってる説は濃厚じゃないでしょうか。あの人らの人脈半端ないもんw

男子部でも飲み友達沢山いる人は飲みの席で自然と切り出して、呑兵衛たちと議論白熱してて楽しそうですけどね。


そもそも、学会って折伏の団体ですけど、折伏って角度を変えて視ると有効拡大なんですよね。支援活動ってそのためのツールでしかない。だから支援活動だからと言って特別なことする必要は無いんですよね。


ただ、政治学習会がただ単に実績を覚えるだけの会になってるのはお粗末だなあと。せっかく政治を勉強できる(しかもコロナ禍のおかげでZoomを使って国会議員から直接)可能性を秘めているのにそれは勿体ない。

月刊「公明」読んでると、その道の専門家達の寄稿たくさん読めてすごく勉強になるんですよね。そういう勉強会になってほしいなと。


戸田創価学会第二代会長はこう言ってます。

「青年よ!心して政治を監視せよ!」

じゃあその為には何が必要か。政治だけじゃなく万般の学問や社会問題について詳しく知り、そのための解決に政治が動いているか見極め、時には批判し時には賛同を示さなければいけない。

ただ、政府や議員たちが持ってる情報と一般市民との情報格差は必ず生じてしまう。だからその格差を埋めるために政治学習会やるなら、もっと工夫が欲しいなと。


創価学会の支援活動により、選挙への関心が上向いたのは前述した「公明党の50年」にも記載されているけれども、それはまあいい事ではあるなと。だからただ実績を吹き込むだけじゃなく、現実社会の複合的な問題解決のためにどうすればいいか学び議論する場が欲しいなと切に思います。


2021の創価学会の支援活動はこんな感じ。上層部はなんか変なこと言ってるけど、現場は実状に合わせて無理なくやろうとしてる感じかな。ただ間に挟まる幹部はキツイだろうなーと(実際キツイキツイ言ってるし)。

ただこれはn=1なので、もぅっとログが欲しい。ので、創価学会員には是非、今どう感じてどう動いてるか残して欲しいなと。それを元に論文とまではいかないけど、エスノグラフィーくらいは作って欲しいなと。

私はそう願っています。