私とソフトクリームと人生
私は大人だ。
この前、街に出てソフトクリームを食べた。
なんとカップで。
こんなことは物心が付いて以降恐らく初めてだろう。
コーンではなく、 カップで食べたのだ。
あのソフトクリームをだぞ!?
私は大人だ。ふふん。
これまでの私や読者諸君の考えはこういう次第だ。
「コーンの方がコーン自体も食べれてお得じゃないか!!」
「コーンの凹みにソフトクリームが埋もれ込む分、お得じゃないか!?」
なんと浅薄で浅はかな考えだろうか。
よく考えてみたまえ。
第一に、 コーンだと 「溶けちゃわないうちに食べないと(汗)」と焦ってゆっくり味わえない。
第二に、 溶けたら手について面倒だし、 焦って食べると口の回りにソフトクリームが一杯着くこと間違いない。 後始末が面倒なのだ。
君たちはソフトクリームが早く食べないと溶けてくるという基本的性質を疎かにしがちではなかろうか。えっへん。えっへん。
要するに私は時間に追われずゆっくりとソフトのミルクを味わいたかったのだ。
現代社会はとにかく時間の節約を進めていくが、果たしてそれだけが人生であろうか?
考えてもみたまえ。 カップに乗ったソフトを小さいさじで少しずつゆっくり食べれば、長時間、何度も舌をたのしませられるのだ。
食とは量ではない。いかに味わうかなのだ。
まさに問題の本質は人生というソフトクリームをいかに味わうかなのである。
そして、我々は常に日常において、「いかに生きるか?」という生の根本命題を突き付けられているのである。
油断することなかれ。
まだ君たちには理解しがたい事実かもしれないがそのうち分かる日がきっと来るだろう。
要するに、 私が今回言いたいことは、 私は大人だということである。
えっへん。えっへん。
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