手術の日②
この日、診断書を出してくれるように夫に依頼した。ということは警察からそう言われたからなはずだがいつ言われたのか。日曜というのは普通の会社ならないのだが、警察は別?それとも入院したのを確認がてら土曜だったのか、人身事故として扱うためには診断書が必要なので取っておいてほしいとのことだった。
夫に追加のものを頼んだのだったか、頼んだけど忘れたのか、覚えてないが入院中に何がいるかなんて自分でもわからないので、しばらくしたら誰か、多分職場の同僚の女性にお願いすることになるだろう。最初に連絡した同僚は何でも言ってくださいって電話で言ってくれたが、下着や化粧品など身の回りの物は男性には頼みにくい。
予想外に長くいてもらうことができたが、夫も帰った。自転車ウエアやバックパックは使い物にならないし、病院で必要になることもないので、持って帰ってもらった。リース見ながら、一人に戻ると寂しいな。それにしても私の家でいったいどんな生活をしていたのか不思議である。というのはずっと後になって電気料金を見ていたら、この時の電気料金が、とびぬけて高いのだ。
夫がいたのはたったの3日間である。事故前には自宅隔離期間があったので、普段より電気を使ったかもしれないが、入院中は冷蔵庫以外の電気は使っていないはず。検針日は15日前後が多いので1月分は12月半ばから1月半ばなのだが、検針日以降に私が自宅にいたのは10日ほどで、6日目には自宅隔離期間も終了している。ぐんと安くなっている方が普通なので、腑に落ちないが、来てくれてすごく助かったのでしょうがないか。風呂はガスだから毎日入っても電気代にはあまり影響しないし、もしかして窓全開で暖房じゃんじゃんつけてたのかな(笑)。
手術が終わったので、牽引はなくなったが脚は動かない。周りは包帯というかガーゼ状のもので覆われていてどうなっているかはよくわからない。腕から点滴と右足には血流を促すポンプもついていて、相変わらずベッドから出られないのでお小水の管とオムツもついている。
昼食(手術が終わって麻酔から覚めた時はとうに昼食時間ではなかったが)と夕食は出ないので、夫がコンビニで買って冷蔵庫に入れておいてくれた「夕食」を食べた、ありがとう。ヨーグルトは覚えているけど他にはおにぎりと飲み物だったかしら。夫は乳製品が大好きだが私は全般的に苦手で選り好みがある。ヨーグルトが入っていたのが夫らしかったので覚えているんだな。フルーツ入りのだったので、甘みがあって食べやすかった。さすがに牛乳はなかった。水も買っておくように言われたので、買っておいてもらったが、結局それはそれほど必要というわけではなかった。
手術の日に色々持ってきてもらったので、荷物を引き出しや戸棚に分けて整理した。
日頃フィットネストラッカーをつけているが、手術の前から翌日までは付けてなかったので、この日、いつどのくらい眠ったかの記録がないが、脚の痛みもさることながら、仰向けにしかなれず腰が辛いので、入院中、夜はあまり眠れなかったのだ。特にこの時期はベットから全く出れなかったこともあり、深夜にベッドを上げ下げしたり、上半身を起こしてしばらく起きていたりの繰り返しだった。
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