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世界恐慌

ジャズの酔いから覚める時

1920年代のアメリカは、空前の好景気に沸き、株価も右肩あがり、GDPが急成長し、人々の間にもほぼ現代と変わらないような生活が浸透していた。

ところが、大戦後の混乱から立ち直り、10年間に及んだジャズ・エイジは、突如として終わりを迎える。

大不況と大混乱の長い長い時代の始まりである。

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アメリカ発の世界大恐慌は、1929年10月から1930年代前半にかけて起こった。しかし、恐慌の伏線自体は1920年代の盛り上がりの中にひっそりと身を潜めていた。

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・農業不況

1920年代半ばから、アメリカでは農業不況が起こった。原因は主に2つ。

一つ目は、第一次世界大戦の終戦。アメリカの農家は戦時需要に応え、大量に食料を生産していた。設備投資も行われた。戦争が終わると需要が低迷し、農産物価格が下落。農家は窮地に追いやられた。

二つ目は、農業の集約化と生産性向上だ。アメリカの農業は大戦後に大規模化が進み、大農家が土地を更に買って拡大していった。そして機械化も急速に進んだ。フォード社はフォードソンブランドでトラクターなどを新しく打ち出した。産業の発展は農業にも影響を及ぼしていたのだ。生産性向上によって、小規模農家は淘汰され、供給過剰で農産物価格は下落した。

この農業不況は、産業構造の転換とも捉えることができるが、短期的に見ると、現在よりも人口に占める割合が多い農家の購買力低下に繋がった。

こういった構造不況の波は、他の業界にも押し寄せていた

・構造不況

石油自動車産業が勃興するに代わり、石炭鉄道が没落していったのである。燃料や照明は石油にとって代わり、やがて電気になった。鉄道も、交通産業の1つに過ぎないのだがそれまでの栄光にすがった結果、自動車がアメリカの足となった。全国的な道路網の開設は鉄道を使う理由をなくしてしまった。

石炭や鉄道業界は、農業とは比べものにならないくらい多額の設備投資が1800年代から行われていた。構造不況の波にさらされると、負債は膨らみ、維持費はそのまま、収入は減り、雇用も減ることになる。これも購買力低下に繋がった。

また、好調な業界でも問題の種は撒かれつつあった。

・過剰生産

大量生産大量消費社会は、需要も供給も拡大し続けることを前提にしている。波があるとはいえ、基本的には経済は拡大圧力があるので、それで良い面もある。

ただ、好調な業界は1920年代に設備投資をし過ぎたために、過剰生産が起こるようになった。作りすぎても、次なる需要が増えて在庫が捌けるならそれで良い。しかし持続不可能なレベルにまで達した時、過剰な生産は大打撃となる。

・金融政策

更に、当時の経済政策も問題になりつつあった。金融政策は基本的に拡張の方向だった。しかし低金利状態の持続が難しくなると、利上げに踏み切らざるを得なくなった。金本位制だったことも問題を複雑化させていた。

・投機熱

株式市場でもブームが起こっていた。さまざまな人が株式投資をするようになり、信用買いも普及していた。ダウ平均株価は、1920年に80ドルだったものが、1929年には350ドルを超えていた。やがて株価は収益に見合わない所まで高騰し、それが普通になった。

・世界的な競合

この時代、資本主義社会にとって脅威となっていた存在がある。

成立したばかりのソヴィエト社会主義共和国連邦だ。これにより、ロシアという巨大な市場が1つ、世界経済から消え去った。

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そして引き金は引かれた

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1920年代を通してずっと上り一本調子だった株価は、1929年9月に天井をつけた。まずは天井から20%下落。短期的に7%回復したが、その戻しはすぐにかき消され、1929年10月24日木曜日、ついに1日で10%を超える下落を記録した。小康状態は長続きせず、暴落は続き、一時200ドル台を割り込んだ。

この下落は1932年まで続き、1929年の高値を更新するのは1954年のことだった。どれだけのことが起きたかは想像に難くない。

株価暴落のニュースは各地を駆け巡り、証券取引所内だけで多数の自殺者が出る始末だった。

全米で沢山の人が株に投資していたため、大混乱となった。信用買いが広まっていたことも混乱に拍車をかけた。追証の支払いが出来なくなった人々が路頭に迷った。

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暴落を受けて群衆が証券取引所前に集まった。

もちろん、手をこまねいて見ていたわけではない。

10月24日、暗黒の木曜日と名付けられたその日。ウォール街の銀行家たちが、市場の崩壊に対処するべく会合を開いた。その中にはモルガン銀行の頭取代行トマス・ラモン、チェイス銀行頭取のアルバート・ウィギン、ニューヨーク・シティバンク社長のチャールズ・ミッチェルが出ていた。彼らは取引所の副会頭リチャード・ホイットニーを使い、市場の混乱を止めるべく手を打った。ホイットニーは市場が閉まる前に証券取引所へ向かうと、何食わぬ顔で優良銘柄に高値で多額の注文を出し始めた。

市場価格よりもかなり高い価格でUSスチール株を大量に購入する注文を出し、ほかの銘柄にも同じような買い注文を出した。銀行家たちが資金を捻出した。

それを見た他の投資家たちも、次々と買い注文を出した。そのことで次々と買い注文が入り、翌日金曜日は大幅高で始まった。

ただ、1907年恐慌では通用したその方法も、1929年ではその場しのぎに過ぎなかった。結局翌週の月曜日火曜日から暴落は再開した。

アメリカは、その1週間の間で300億ドルを失った。これは連邦政府の予算の10倍にあたるといえば、どれほどの規模か分かるはずだ。

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世界大恐慌の始まり


そして、この株式市場の暴落は実体経済に大打撃を与えた。

それからの3年間のアメリカ経済は、悲惨なものだった。

株式市場で起きた信用収縮による国民の購買意欲の低下(資産効果剥落)

これまでの過剰生産と設備投資のツケ

景気サイクルの落ち込みを加速させたこと

過大な債務増加と解消によって起こる100年に1度の大不況

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金融不安から起こる銀行取り付け騒ぎ。

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さまざまなことが影響し、それまでに経験した恐慌とは比べ物にならないほど大規模で、世界規模の恐慌が発生したのだ。

各種経済指標は1929年から1932年の間に以下のように変化した。

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アメリカの失業率は20%にまで増加。ドイツに至っては30%を超えることになる。

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この打撃が、ドイツにおいて新勢力の台頭を許すことになる。もちろん、ドイツのみならず、各国が混乱と政変を経験した。

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各国の動向

・イギリス

イギリスでは、ラムゼイ・マクドナルド率いる労働党内閣が成立していた。

第2次マクドナルド内閣である。しかし財政の維持のため、1931年に失業保険手当の削減を行うと、労働党の支持基盤である労組から激しい批判を受け、マクドナルドは労働党を除名されてしまう。

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しかしそこで終わりではなかった。

マクドナルドは保守党、自由党と組み挙国一致内閣を成立。

失業保険の削減、金本位制からの離脱と通貨切り下げ、保護関税法による保護貿易主義への転換、オタワ連邦会議の開催とスターリング=ブロックによるブロック経済の構築などを実行した。

・フランス

フランスでも、1934年に植民地経済会議が開かれ、フラン=ブロックが形成された。

更にドイツが1935年に再軍備をしたのに伴い、仏ソ相互援助条約を成立させた。

そして、当時世界中で勢力を伸ばしていたファシズムに対抗し、混乱する国政を収めるためにフランス社会党などが中心となって、人民戦線内閣が発足した。

人民戦線内閣もまた、他の国と同様に経済復興を進めるため支出を行ったり、教育無償化や労働改善、銀行規制や国有化、反ファシズムなどを掲げた。ある種、革命によらない社会主義政権であった。

一方で国際競争力を高めるためにフラン切り下げなども行われた。

ただ、人民戦線内閣は1937年に早々と崩壊することになる。

・イタリア

イタリアでは、1922年にベニート・ムッソリーニによるファシズム内閣が成立していた。

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イタリアも世界恐慌の影響をモロに受け、経済は大打撃を受けていた。植民地をあまり持っていなかったイタリアは、国外への拡大を急ぐことになる。その結果として、イタリアはエチオピアに侵攻し、占領することになる。

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・ドイツ

第一次大戦敗戦の傷を引きずり、やっと経済復興を遂げたばかりのドイツでは、世界恐慌の影響を受け失業率が30%以上にまで上昇した。

そんな中、勢力を伸ばしたのが、アドルフ・ヒトラー率いる国民社会主義ドイツ労働者党、通称ナチ党である。

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ヒトラーは第一次大戦に従軍したあと、出来ばかりのナチ党に入党、そこで演説の頭角をあらわし、トップに上りつめる。しかしヴァイマル共和政とアメリカ主導の好景気の中でナチ党の支持率低迷が続いていた。

1929年に入り、世界恐慌を見てここぞとばかりに勢力を拡大したナチ党は、各州の議会選挙で多数派を取るようになる。

ヒトラーは1932年の大統領選で、敗れたものの37%の得票を得る。相手は第一次大戦の英雄、パウル・フォン・ヒンデンブルクであった。

一方議会では1932年に230議席を獲得、第一党にまで躍り出る。

そして1933年、ヒトラーが首相となり内閣が成立。加えて、全権委任法を議会で過半数の賛成で成立させた。

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こうしてドイツでは、統制経済の独裁政権が誕生することになる。

ただし、国民社会主義と名前は付いているものの、支援していたのは地主や資本家である。あくまで、共産主義も敵なのだ。

実際、ヒトラーはユダヤ人への迫害を行う一方で、労働環境の整備や高速道路(アウトバーン)の建設など、公共事業による雇用創出を実行した。

・日本

世界恐慌の影響は、日本にも波及していた。

しかし1931年、いち早く金本位制から離脱し日本円を切り下げたこと(1ドル=2.4円→1ドル=5円)、日銀が国債を引き受けて軍事費や公共事業に多額の支出を行ったことで、デフレから脱却し経済は回復した。

この時の蔵相、高橋是清の名前をとり、高橋財政と呼ばれることもある。

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この時の軍事支出は、資源獲得政策とも相まって、中国満州での領土獲得、満州国建国に繋がった。

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しかしながら、この軍事費支出は軍部の力を増すことになり、のちの1936年にインフレ抑制や財政健全化のため軍事費削減を実行しようとした際、高橋是清は暗殺されることになる。

これにより財政規律がなくなり、軍部の政治掌握が起こった。

更に悪いことに中国進出はアメリカとの対立に繋がり、後の大戦の引き金となった。

・ソ連

唯一、世界恐慌の影響を受けなかったのが、社会主義国家だったソ連だ。

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ソ連は「第一次五カ年計画」にのっとり国家主導での工業化と大規模農場の仕組みを作り、資本主義社会と繋がりがなかったことなどで、経済は安定的に成長し続けていた。

ただ、その裏では反対派の粛清と強制労働など、闇の部分が存在した。

・アメリカ

1929年、世界恐慌が起きた時のアメリカの大統領は、共和党のハーバート・フーヴァーであった。

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1931年には、財政危機に陥ったドイツの債務償還を猶予するフーヴァーモラトリアムを成立させる。

しかし中々経済が回復せず、1933年、民主党のフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任。

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ルーズベルトは、経済回復を掲げ、ニューディール政策を実行する。

この政策は、積極的な市場への介入と、金融緩和と多額の公共支出による需要回復からなる。

1933年に就任するとまず行ったのが、bank holidayという銀行の強制休業だ。これは当時取り付け騒ぎなどが起きて預金者が銀行を信用していなかったのを受け、1週間休業させて預金の安全性を確保し、金融システムへの信用を回復させたのだ。

次に制定したのが、グラススティーガル法だった。これは、銀行が証券会社ビジネスも一緒にやってはいけないというもの。それまでは銀行の子会社に証券会社があり、リスクのある取引を行っていた。ちなみに今の人はこの文面に違和感を抱くと思う。これは後に1990年代に入りビル・クリントン政権下で廃止された。

更に、連邦預金保険公社も設立された。これは銀行が強制的に加入する保険で、銀行が潰れたとしても預金は保護されるという仕組みだ。今の日本にあるペイオフの仕組みと似たようなものだと考えればよい。これは現在もある。

そして金融分野ではもう1つ、現在まで続く制度が確立された。それが、SEC(米国証券取引委員会)の開設だ。しかも、その初代委員長に任命されたのがなんと、ルーズベルトを資金面で支援したジョセフ・ケネディだった。ケネディ自身も金融界とは深い繋がりがあり、自身も不正行為にあたるものはしていたにも関わらずの任命だったため、非難を浴びた。しかし同業者の不正は誰よりも知っていたため、不正の摘発には一役買った。彼は政権で重要なポストに就き、大統領になることを目指していたのだ。

労働環境についても、NIRA(全国産業復興法)を制定し、労働時間短縮や最低賃金の設定などを行った。

農業不況についても、AAA(農業調整法)を制定し生産高を調整した。

さて金融政策についてだが、金本位制を廃止し管理通貨制度に移行。積極的に資金供給を行うことで通貨を切り下げ、景気を上向かせようと試みた。

そして公共投資だ。

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一番代表的なものが、TVA(テネシー川流域開発公社)だ。テネシー川流域の開発のため、数十の多目的ダムの建設、それによる失業者の吸収を狙ったものだ。効果は限定的だったとされるが、現在でも話に残るほど有名なものではある。

そして、世界恐慌を通じて起こった政局の変化が、世界を一変させてしまうことになる。

まとめ

世界恐慌は、今でも語り継がれるバブル崩壊の物語だ。ここから学び取れることは非常に多い。

近年も、2回ほど大規模な株式市場の下落が起こっている。

1つめが、2007年から2008年にかけての、所謂リーマンショックだ。 

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サブプライムローンの債券を証券化し色々な金融商品に組み入れたことから起こったもので、無理な債務拡大が原因だ。

このリーマンショックの経緯と、それをチャンスとして儲けた男達の映画、マネーショート 華麗なる大逆転という作品はぜひ一度見て欲しい。


そして最近は、2020年の新型ショックだ。

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ウイルスによって社会活動が止まること、これまでの世界で経験してこなかったようなことが起こっている。

さて、次の危機で我々は上手く立ち回れるだろうか。

リバモアさんから空売りのやり方くらいは学んでおいた方が良いかも分からない。

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