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なぜフツーの主婦だった私が、日本茶インストラクターにまでなったのか、というお話①

こんばんは、おまみです。
今日は、お茶屋に生まれ育った訳でもない、ただの主婦だった私がなぜ日本茶インストラクター資格を取得するまでになったか…というお話です。

それはある茶農家夫妻との出会いから。

現在12歳の末娘がまだ幼稚園の頃、その人と私は出会います。
それが後の師匠、孫右ヱ門七代目でした。
孫右ヱ門は、お茶の品評会で何度も上位を獲得する高品質のお茶を作り続けている茶農家の七代目さん。
木津川沿いで、抹茶の原料となる碾茶を栽培しています。

孫右ヱ門の奥さんとは、幼稚園ママ友の関係から始まり、家族ぐるみの付き合いをしていました。
また茶の繁忙期には、品評会に出品する茶の選別をする「お茶選り」の仕事をお手伝いをさせてもらっていました。
そしてある時、孫右ヱ門が直々にお茶を点てて振る舞ってくれる機会がありました。
それが後に私の人生を変える「ほんず抹茶」との出会いです。
ほんず抹茶を一口、口に含んだ時に広がる香り、味は、私が知る抹茶というものの概念を全く覆すようなもので、その濃厚な味わいを頭では処理できないほど衝撃的な感動を覚えました。
ほんず抹茶…ただモンじゃねぇ…
ほんず抹茶は安土桃山時代から続く藁とよしずで茶園を覆う伝統製法で作った碾茶で、その技術の難しさとコストから、現在では日本中でもほんの数軒しか作っていません。

ほんず抹茶の価値は金と同等。将軍様や大名たちの飲み物でもありました。

その目が覚めるような蛍光色のグリーン、点てている間から立ち昇る香り、口に含んだ時にふわっと口の中いっぱいに広がる旨み。
飲み物でこれほど感動を覚えたのは、これが初めてでした。

ほんず抹茶生産の背景を知れば知るほど、こんな抹茶を誰も知らないのはもったいない。もっと世の中に知ってもらいたい、この旨さを伝えたい…。そんな思いが大きくなっていきました。

あるとき七代目孫右ヱ門が、嫁様のお使いモノを渡しに一人で我が家にやって来る機会がありました。「まぁお上がりくださいまし」昼下がりの誰もいない我が家に招きました。

今思うと、甘美な昼顔の世界への誘惑かと思われたかもしれませんw

そこで私はママ友の夫である孫右ヱ門に、準備していた履歴書を渡しました。ほんず抹茶を世に広める手伝いをさせてください、と。

これには孫右ヱ門も驚いたようですが、その後約半年の放置プレイののち、孫右ヱ門の広報として販路拡大のお手伝いをする日々が始まったのでした。

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