傑作マンガ『完全版 マウス』でホロコーストを追体験
そもそも戦争とはどんなものかを、知らなさすぎるのではないか。
父も母も戦争と体験しておらず、日本で普通に暮らすぼくは、戦争を知らない世代だ。
ぼくと戦争の唯一の接点は母方の祖父で、彼が家族で唯一の戦争経験者だった。
祖父から聞いた話は、祖父は軍隊では下っ端だったので上官によくいびられており、その腹いせに上官のご飯にフケを落として食べさせたことや、銃撃戦になったら真っ先に逃げ回っていたということだ。
リアルといえばリアルだが、戦争の「恐ろしさ」を祖父からは学ぶことはできなかった。
「恐ろしさ」といえば、出身地が山口なので、お隣の県の「広島平和記念資料館」で原爆の恐ろしさを見たことはあったし、通っていた小学校の教室には『はだしのゲン』が置かれてあり、おそるおそる読んでいた。
しかし、それらを通じて学んだのは「原爆という兵器の恐ろしさ」であり、「戦争や人間の恐ろしさ」とは少し違っているように感じた。
そこで手にとったのが本書だった。
本書を読もうとしたきっかけはもう一つあり、たまたまどこかのニュースサイトかYouTubeで、ある報道を見たからだ。
映像では、アメリカでナチスの旗を掲げている人たちについての報道されていた。
ぼくの中でナチス=完全悪という認識だったので、そのような人々がいることに正直に驚いたし、自分のことを振り返ってみると、そもそもナチスとは何だったのかを知らなさすぎると恥じ入った。
ナチスの行ったホロコーストとはどのようなものなのか、マンガであれば理解がしやすいだろうと思い本書を選んだ。
『完全版 マウス』
著者のアート・スピーゲルマンは1948年生まれのマンガ家で、本書はジャーナリストのノーベル賞といわれる「ピューリッツァー賞」を、マンガとして初めて受賞した作品だ。
書名に「完全版」とついている理由は、もともと『マウス』(原書は1973年に出版)と『マウス II』(原書は1986年に出版)という二冊の本を合作させ、さらには翻訳に改訂を行なったからだ。
本書はアウシュビッツで実際に行われていたことを、ユダヤ人としてその場で体験し、生き残ったヴラデックの体験談を、息子のアート・スピーゲルマンがマンガに描いた傑作だ。
アウシュヴィッツについてはいままでに歴史書や体験記が数多く出版されているが、本書はマンガという独自の手法と、父と息子という視点で、これまでに伝えられてこなかった現実を伝え、世界中に衝撃を与えた。
アメリカの大手メディアであるインディペンデント紙からは「(前略)ありのままかつ赤裸々に語られた生存者の物語。ホロコーストの恐ろしさは――原爆と同様に――実際に体験した者でないと想像もできないとされている。だが、スピーゲルマンは、その概念を覆した」と絶賛された。
タイムアウト紙からも「実在する家族の壮絶なサバイバル、間一髪の脱出、そして収容……多くの人が忘れてしまいたいと願う経験や感情を巧みに描いている。生死に直面する状況に追い込まれたとき、信頼や裏切りは前例のない次元へと変化する。(後略)」と称賛を受けている。
内容
本書の一番の魅力は、なんといっても擬人化の妙だろう。
・ナチス=ネコ
・ポーランド人=ブタ
・ユダヤ人=ネズミ
・アメリカ人=イヌ
と動物で描かれており、登場するキャラクターはどれも人間味に溢れているだから不思議だ。
親しみやすいキャラクターたちを通じて、ホロコーストの真実へと引き込まれる。
作者の父ヴラデックはポーランド出身で、第1部ではヴラデックの青年時代から物語が始まり、過酷な逃亡生活を経たのちにアウシュヴィッツに収容されるまでが描かれる。
第2部では、アウシュヴィッツでの悲惨な体験と解放、最後に故郷への帰還までがつづられる。
ユダヤ人であるというだけで組織的に迫害されるという非道さは、言葉にすることができない。
全編をとおして、著者が父の体験談を聞く場面が織り込まれており、両親が戦争で負ったトラウマが、著者にどのような影響を及ぼしたのかまでを知ることができる。
そして本書は、アウシュビッツの悲劇が描かれると同時に、生き延びるための知恵が満載ともいえる。
ヴラデックは靴の修理(過去に見たことがあっただけ)や英語が喋れたことから、他の収容者とは違い、特別扱いを受けることができたエピソードが登場し、どんな知識でも、身につけておけば損にならないと学んだ。
こんな人におすすめ
ホロコーストを生き残った者の貴重な体験を描いた作品なので、戦争や人間の恐ろしさを知りたい人に是非とも目をとおしてほしい作品だ。
全部で約300ページほどあり、大型の本で1ページの情報量が多かったので、読み通すのに4時間ほどかかった。
人間の狂気が溢れる「ホロコースト」という、シリアスにならざるを得ない題材をあつかった昨日だが、登場人物たちを動物にみたてており、最後まで読み通すことができる。
視覚に訴えかけるマンガだからこそ、家族や友人が減っていく悲しみや、やるせなさ、そして迫害や飢餓、死という現実の恐ろしさが伝わってくる。