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レビュー『読みたいことを、書けばいい。』

なんてストレートなタイトルでしょう。

この言葉ほど、noteで発信している自分とって救いになるものはありません。

いままでnoteに投稿してきて、できれば「たくさんの人に読んでほしい」と考えてきました。

そのためには「ターゲット」を明確にし、バズるためにタイトルをキャッチーにする必要があるなぁ...といったことを悶々と考えてきたわけです。

しかし、その出発点から間違っていますよ!と方向修正をしてくれるのが本書。

ただシンプルに、「あなたが読みたいことを、あなたに向けて書けばいい」と教えてくれます。

ネットで文章を発信するなか、いままで心の片隅に感じており、うまく言葉にできなかったことが、とてもシンプルに言語化されており、「そうそう!」「それが言いたかった!」と、読み終わったときは爽快感すらかんじました。

情報発信にたずさわり、だれのために書くのか?なんのために書くのか?ということに迷む人に、ぜひ読んでほしい本です。

本書の価値はまず、ネットで読まれている文章の9割は「随筆」と明らかにしている点。

随筆とは何かというと、「事象と心象が交わるところに生まれる文章」である、という著者の定義も見事です。

「事象」は、あらゆるモノ、コト、ヒトで、個人が見聞きしたことや知ったこと。

「事象」に触れて心が動き、書きたくなる気持ちが生まれるのが「心象」です。

たとえば映画を評論する場合、あらすじばかりを書くことは「事象」だけの文章で、感想だけ書くのは「心象」だけの文章となり、どちらも随筆とはいええません。

そもそも文章が伝わらないのは、ウソを言っているか、本当に思っていないことを書いているか、他人から借りてきた言葉を書いているから。

伝わるためには、「事実の中に、あなただけの発見を見出し、調べて、自分に向けて書く」ことが大切だと説いています。

ちなみに「事象」を中心にした文章は、「報道」や「ルポルタージュ」。

「心象」を中心にした文章は、「創作」や「フィクション」と呼ばれています。

次に重要なのが、「ターゲットは想定しなくてよい」としている点。

読み手として読みたいものを書くということの出発点なので、ターゲットは自分自身。

自分の感動が中心になく、自分で読んでおもしろくない文章なら、書く意味がないといえます。

そして、「自分で読んでおもしろい文章」とはなにかというと、それは「まだだれも書いていない文章」。

つまり、すでに他の誰かが書いていたら、自分が書く必要はありません。

著者は元電通のコピーライター。

面白く伝える技術がすばらしく、終始ユーモアや比喩を用いて、クスっと笑わされ、飽きずに読みすすめることができました。

「書くことの本来の楽しさと、大変さ」を知ってもらいたい!という著者の気持ちが伝わってくる本でした。


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