不登校と不幸せ
ご存じのように我が家は長男、長女と不登校で、私は在宅勤務をしているので四六時中一緒に過ごしているわけですが、そうすると定期的にこのままでは彼らは将来苦労するのではないかという不安に襲われます。
そういったときは子どもたちと一緒にいすぎているときで、なるべく物理的に離れることが重要だということも分かっているので、今日はひとりでスタバにきました。しかも、いったん店を出て本屋さんで将棋の本を購入して、もう一度スタバに入りました。将棋は、コロナ以降、私がはまった新しい趣味ですが、その話はまた別の機会に。
将棋の本を読んでも時間があったので、こうしてnoteを書いています。
さて、このまま不登校を許容していって、うちの子たちが将来どうなるのかはもちろん誰にも分かりません。
だれが責任を取るわけでもないけれど、その「だれも」に自分も含めてはいけないと肝に銘じています。
つまり、子どもたちが不幸せになったとしてもそれは私の責任じゃない。
すごく語弊があるけれど、そう思えないと不登校の子供たちと過ごす日々の中で疲弊し、そして実際のところ子供たちを不幸せにする元凶に自分自身がなりえます。
まだまだ1年ちょっとと、不登校の子どもたちと接する期間としては未熟者ですが、ひとつはっきりと分かってきたのは、不登校はダメなもの、なおすべきものという考えは確実に子どもたちの心をむしばんでいきます。不登校だと不幸せになると言い換えてもよいかもしれません。この考え方はなぜか根強く、私の中にもしっかりと根を張っています。
不登校と不幸せの因果関係は正直なところよく分からないのですが、こちらの記事を見かけました。
あくまで一般論ですが、有名な大学に入って退学する人もいるし、一流企業に勤めて退職する人もいます。注意してもらいたいのですが、その結果、彼らが不幸になったと言いたいわけではありません。まじめに小・中・高と通ったからといっても自分の進路についての悩みから解放されるわけでもないという話です。
長男の話をします。現時点の彼は一日中ゲームができたり、YouTubeを見続けられれば幸せなようです。であれば、まずはその価値観を認めるところから始めなくてはならないのだろうと。
例えば長男に対して、
「ゲームやYouTubeばっかりやってたら将来困るよ!」
というようなアプローチは決して取ってはならないのだと思います。そうではなく、この先、長男が好きなときに好きなだけゲームやYouTubeを楽しめるようにするにはどうすればいいのか、それを一緒に考えてあげるべきなのかもしれません。そしてそれを実現させるためには、必ずしも小学校に通う必要はないということです。
誤解のないように言っておくと、以上の考え方をすべての子どもに当てはめるべきとは私も思っていません。ですが「将来」というあまりにも漠然としたものに備えて、いまがんばることがとても難しい子どももいるという話をしています。そんな子どもたちの考える幸せは、往々にして我々大人が描きがちな幸せとは相いれないものですが、そこで大人の価値観を押し付けると話がこじれていきます。彼らは私たちに心をかたく閉ざすでしょう。
というようなことを私は思うのですが、こんなことをnoteにしたためられるのは、今日こうして数時間を長男と長女から離れることができたからです。今日の話はだれか第三者に向けて書いたものではありません。長男・長女と四六時中一緒にいて、イライラしがちになり、隙あらばなんとか小学校に行かせようとする、しかも行かせたい理由が子どもたちを思ってというよりも、自分が解放されたいがためだったりするくらいに疲弊しているときに読み返すための、自分自身へのメッセージです。
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